真っ白けの山。そうすると<春過ぎて夏来たるらし~>春が過ぎて、夏が来たらしい。で、この季節です、ほら?夏5月、「万緑」の季節です。万緑の季節にこの山だけがですよ、みんな500メートル級ですよ、これが全山「真っ白」だったんですよ?したがって衣は人間の衣じゃなかったんです。神が、造化の神が、天地をつくり給うた神が、白妙の衣を乾してあるかのように天香山だけは真っ白に照り輝いてることよ、というまさしく文句なく雄大な歌だったんです。
「万緑の中の真っ白の天香山」、想像してみてください…ほら、これだけでも相当な力ありますでしょう?「倭歌が解き明かす古代史」です。その天香山に天皇さん登られた。そうすると先程のあの地図出ますかね?で、これ「白さ」目立ちますね。今はちょっと(*不明)ほら、今は掘られたかわいそうな畝傍山・一ノ岳、ほら。この肌だったんですよ、古代は。で、周りがほら「緑」でしょう?この山だけがこの高さで「真っ白け」だったわけです、畝傍山も。
天香山も真っ白だったんです。で、さっきのあの地図ですね、あの海が迫ってるやつ、はい。はい、これ。香山この辺りなんですよ。そうしますと500メートル級の山、今度登ってきたんです、本当に。もうこのままじゃ、理論だけじゃいかんと。自分で登って調べてごらんてな感じで。見てきました。当時、ここが海だったら、これ肉眼で見えるんですね、「海原」が。「海原」見えるんです、やっぱり。
今の福智山からでも遠賀平野見えますもんね。ほら、だから間違いないですよね?当然、近くまでですね、川がこう流れて来ていれば、カモメも海からこう川沿って、こうもう少し上ってきてますから、じゃあやっぱり<~海原に鷗立ち立つ~>わけです。ついでのことに言いますと、「かまめ」というのは瀬戸内海の西側の方言です。だから、これが宇治天皇さんである時にですね、仁徳さんである時に、仁徳さんは瀬戸内海方言を話してたわけですね。
「かもめ」じゃなかったんです。「かまめ」立ち立つなんです。(*省略)はい、こういうことですね。さぁ、そこでその万葉集2番歌を読んでいた時に、ここでその応神の太子であった「菟道稚郎子」(うじのわきいらつこ)さんという人がどうしても歴史にクローズアップされてくるわけですよね。で、そこで今日は「真実の仁徳天皇」に入っていくわけですよね。(*省略)
<休憩>
はい、それでは後半ていうか、中盤ですね、それでは今度はその仁徳天皇、「真実の仁徳天皇」の方のお話に入ってまいります。えー、結局キーワードは全部「天香山」という話でございますが、ここに香春の遺跡図なんか出してございますね。ここに一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳、さっき言いました五徳越峠とかあります。
先程言いました神武の宮というのはこの畝傍山・一ノ岳の東南のこの辺りにありますね。それから「おほきんさん」の墓がこの辺り。だから、そういった意味では『日本書紀』の記述とピッタリ「東南の宮」、「東北の陵」ということで、香春がピッタリこの位置にあたることになります。