畝傍山がこれで、香山がこれであればですね、本当に神武天皇のお墓というのがあります。それから今日来場くださっている方から、もう一つ言っとかなきゃいけないんじゃないか?と言われました。さっきの「大石峠」(おしがとう)という峠の横にですね、南にですね、こういうお山がありましてね。で、「一尺八寸山」と書きまして「みおうやま」と言います。
で、日本の難読コンクールというのがあるらしいんですが、難読地名コンクール。中津市にありますさっきの山国町の所にありますけど、日本一難しい地名だそうです。普通、読めないですよね?こんなん、「みおうやま」って。で、これが「大石峠」という峠のすぐ近くにあって、それで先程地下水路の話で、その桃坂さんあたりから聞いた時に、その何かが掘ってた時に見つかった水路がですね、その幅がちょうど40センチか60センチじゃないか、この大きさなんですよ。
だから、この大石峠の辺りでひょっとしたら杷木神籠石の「大石」をこのサイズに加工して、香春まで持ち運んだんじゃないか?という、これまた大胆な発想しております。大体、何でこんなのが山の名前なんだと。で、地元の山国町ではあるキツネを捕らえた時に、その尾っぽの長さが一尺八寸あったからだとかですね、何かわけのわからん伝説が残っとります。未だ不明です。
まぁ、そんなこんなでですね、それからもう一つ、地下水路については面白い話がありましてね。十数年前ですか、その地下水路の北の方ですね。採銅所の辺りでガソリンスタンドをつくっていて、ある時そのガソリンスタンドのタンクが、地下タンクが壊れたんですね。壊れたらですね、このガソリンがですね、あっという間に香春の町中に広がってしまった。例の地下水路のせいで。
で、その時、町の人たちは予測したんです。「アンタん所のガソリン漏れたんだったら、香春の町中に広がるぜ?」なぜかって、水路があるってことみんな知ってるからです。で、地元の人が、「まぁ、香春の町じゃ大きい事件やけど、まぁ新聞社は扱うめぇ」なんて言いよったら新聞社が意地で書いたそうです。まぁ、その記事が残ってるというんで、これも柳井さんに頼んで、ぜひその記事探し出してくれと。
で、日付がわかったら教えてくれと。まぁ、東京でも調べられますんでね、西日本新聞か何かで。まぁ、そういったことで地下水路に関してはもう色々と地元に人にですね、現実の話がいっぱいテンコ盛りでありますんで、今とにかく地元でその話集めてくれと。どこで見つかったか?いつ、誰が見つけたか?ということを全部、点でこうマップを描いていけば、地下水路の大体の流れがわかろうかと思うんですね。
はい、そんなこんなです。さぁ、それでは仁徳天皇の方まいります。で、先程「聖帝伝説」の話、3年税を取るのをやめたという帝さんのお話になりますが、(*省略)そこでですね、万葉集の歌、(*省略)仁徳紀の所ですが、<乃ち(大山守皇子を)那羅山に葬る。既にして(太子菟道稚郎子)~>カッコの中は私の補いです。
<~宮室を菟道に興てて居します。猶ほ位を大鷦鷯尊に讓りますに由りて、以て久しく皇位に即きまさず。爰に皇位空しくして、既に三載を經ぬ。時に海人有り。鮮魚の苞苴を齎ちて、菟道宮に獻る。太子海人に令して曰はく、「我天皇に非ず。」と。乃ち之を返して難波に進らしめたまふ。大鷦鷯尊も亦返して、以て菟道に献らしめたまふ。是に、海人の苞苴、往還に鯘れぬ。~>腐ってしまったと。