ページ

2017年3月23日

#004 「真実の仁徳天皇」福永晋三 [40分~45分]

これは日本政府だって潰せないですから。文科省だって潰せないですから、これ。厳然とありますから。あとは見方を変えるだけです。これが斉明天皇が656年に造られた遺跡である。ここが(*不明)ですからね?これ、「世界遺産級」ですよ。これ、「世界遺産」ですよ。今も水、流れてるんです。香春の水道局が利用してるんです。すごい水路です。なぜ斉明さんこんなの造ったか?というと、もう話長くなりますけどね、今日こっちが主題じゃないですから。


とにかくこれで一つ、天香山というのが香春三ノ岳らしいということがですね、これで一応私の方ではですよ、99パーセントもう確定的なんですね。で、その前の前段階で、やっぱりこの天香山を中心にしてですね、そして倭歌から、倭歌が解き明かす古代史ということで、倭歌の世界から実は仁徳天皇と呼ばれる平安朝の皇室が、現皇室も尊崇するところの、尊敬するところの天皇さんのお話に入っていくわけですよね。


で、これにしばらく去年、一昨年とやってたわけなんですね。で、去年はこの話を本当はここでする予定だったんですよ。で、一年遅れになっちゃいましたけど。えー、やっと本題の方に入ってまいりましょう。で、これもまた地名と大きく関わります。でも、キーポイントはやっぱり「天香山」です。それをまず確認しといてください。はい、それではですね、私が天香山に取り組み始めた時の最初の歌と言いますとですね、(*省略)万葉集2番歌にですね、有名な天香山の歌があるんですね。


<天皇香具山に登りて望國(くにみ)せし時の御製歌>という歌があります。<倭には群山有れど取り鎧ふ 天の香具山登り立ち國見を爲れば國原は煙立ち立つ海原は鷗立ち立つうまし國そ蜻蛉嶋倭の國は>という、言いまして、通常舒明望國歌と呼ばれていました。で、この歌がどうもやはり通説でもですね、仁徳天皇紀にあります、「聖帝伝説」、ご存知でしょうかね?


要するに民のかまどから煙が上っていなかった。民が疲れてるよと。だから3年、税を取るのをやめようと言われた天皇さんです。3年後にまた天香山に登ってですね、それでその時、民のかまどが賑わっていたと。ところが、それでもなお税を取られなかったという天皇さんなんですよ。この聖帝伝説が3年にわたります。で、それが万葉集2番歌にまず残っているわけでありますね。


で、万葉集2番歌はね、ずっと謎だったんですよ。そうでしょ?<~國原は煙立ち立つ~>これは民のかまどの煙が盛んに立っているで、簡単にわかりますよね?<~海原~>どうします?<~海原は鷗立ち立つ~>奈良県の天香久山のどこに「海」があるんですか?見えるわけないでしょ?みなさん地理お得意ですから。西に生駒山脈、東に鈴鹿山地、天香久山、海抜150メートルないですね。


生駒山地600メートルぐらい()。それからこっちの鈴鹿山地、やっぱり同じ5600メートルぐらい。どうやったら見えるんですか?見えないです。明らかに無理ですね。(*省略)ほら?こんな山です。で、これで僕は高校のね、古典の教師ですから、それで百人一首の2番歌、<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>で、生徒にね、よく「万葉集は雄大な風景を謡った歌集だよ」なんて教えるわけですよ。


で、この写真見せた途端に生徒からブーブー言われますね。「先生、どこが雄大な、これに衣が干してあって何で名歌なんだ?」と。わからんでしょ?これが。じゃあ、もう一回「香春三山」見せてもらいます?これですよ、ほら?これが石灰岩ですね、全部ね、この山はね。それで天忍骨尊の時代から、それから唐に渡った最澄さんですか、あの人がこの土地で神仏に祈りを込めた時に初めて草木が生えてきたっていう伝承なんですよ。つまり、神代から平安の途中までは、これ真っ白けな山だったんですよ。