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2017年3月17日

#004 「真実の仁徳天皇」福永晋三 [25分~30分]

そうしたら、大きな岩戸が出てきたんで、「あっ、こら違う」と。「こらぁ、ウチの先祖の墓なんかじゃない」と言って、慌てて埋め戻したっていう話がありますね。これももう十数年前行った時に聞いた話です。(*不明)ビックリしました。このおじさんの話が面白かったですね。掘ったら、その岩戸の前に「ビー玉」があったっち言うんです。「は?ビー玉?」ようするに、ガラス玉ですよ。


もう弥生時代のガラス玉って言ったら、ハイテクの製品じゃないですか?「ビー玉があった」。良いですね、その表現が。ビー玉だけ拾っといてくりゃ、良かったのに()。もうそういうお墓が本当にあるんですよ。それでだから、『日本書紀』の記述というのは、その見方を変えて、私はその天香山にこだわり抜いて、それで天香山はどう考えたって「銅が採れて、鏡をつくった」って言ったらもう香春の三ノ岳しか浮かばんかったんですよ。


そこに全部焦点を当てなおして、日本古代史を調べていったら、次から次にこう地名が当てはまる。あるいは失われた地名が戻ってくるんですね。そういう中で真実の仁徳天皇というのも出てきたわけなんです。で、今日はこれから「真実の仁徳天皇」お話ししていきますけども、その前に香春三ノ岳が天香山であるという証拠がですね、実はもう一つ出てきてるんですよ。


で、これみなさんは多分もう日本でもう大体4番目か5番目になると思いますけどね。で、斉明天皇2年に飛びます。斉明天皇2年の所に例の「狂心の渠」というのを造ったという記録がございますよね?人夫3万人余りを使って、渠(みぞ)を掘ったっち言うんですよ。ご存知ですね?字がちょっとおわかりになりませんか?こう書いて「きょうしんのみぞ」、「たぶれごころのみぞ」と言います。


これは斉明天皇2年、656年に造られたと『日本書紀』に書いてありますね。で、正直言って今までどっからも出てません。奈良県の方から亀石みたいな変なのが出てまして、あれが「狂心の渠」じゃないか?と言われてます。あれ全くの「偽物」です。で、私もですね、この記事がその<香山の西より、石上山に至る。>って書いてあったんですよ。


で、西より香山、その私が三ノ岳(*不明)香山って言い始めて、その「西より、~」って書いてあったから、じゃあ斉明天皇の「狂心の渠」も香山の、これは今日、古田さんが用意してくれてるこの図がありますね。この香山のですね、香春岳の(*省略)香春町の所、そこに香春岳とありまして、二ノ岳、それから三ノ岳大体わかりますかね?322号沿いです。(*省略)その香春岳のですね、西側に五徳越峠なんてありますね?


二ノ岳の西側に。で、「西より、~」って書いてあったから、西の方にこの斉明さんの水路があるかと思っとったんですよ。ところが、さにあらず。去年のですね、8月、久留米大学の講演を終わって、香春に入りまして、で、この時に地元の郷土史会会長の柳井さんていう方がですね、実はその車の中でですね、私の助手席に座っていただいて、この322号沿いに「謎の石造りの地下水路」があるんだと。


「ガ~ン…あら?東にあった。東にあった。何でや?」っちな感じで、もう驚きましたけども、それでですね、その時は調査する暇もなくて東京帰って、それでもう気になって気になってしょうがなくてですね、とにかくこれ調べた人おらんのか?って聞いたら、「いや、おる」と。で、それでその人が書いたその「香春」という郷土誌があると。