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2017年3月13日

#004 「真実の仁徳天皇」福永晋三 [冒頭~10分]



[古川氏: (*省略)]


本当にお暑い中、ようこそ。それでは「真実の仁徳天皇」と題しまして、しゃべらしていただきます。私が古代史に入りましたのは、そこのプリントの題名にもありますように、万葉集の軌跡―倭歌が解き明かす古代史というようなシリーズで続けておりますが、最初のきっかけは実はこちらの久留米が手掛かりでありまして、万葉集の4261番に<大王は神にし坐せば水鳥の多集く水沼を皇都と成しつ>という歌がありまして、「水沼の皇都」、こういうのが万葉集の中にあったんですね。


「水沼の皇都」です。で、水沼の皇都ちゃ、どこやろうか?ということで始めて、水沼といったら、ここ久留米市のある三潴郡しかなかったわけです。古代史の世界では「水沼君」なんというのも有名ですね。で、そこにですね、<大王は~>で始まるわけですから、古代の天皇の呼び名、「大王」がとにかくここの水沼に皇都を建てられたんだと。そういう歌が本当に4261番にあるんです。


それで、ビックリしまして、じゃあ、久留米の一番中心の古くからあるお宮さんはどこか?ということで、お仲間が調べぬいた結果、大善寺玉垂宮さんが浮かび上がったと。で、大善寺玉垂宮さんて、どんな神様がおられると?って言ったら、鬼面尊神さんがいらっしゃる。で、鬼がいらっしゃる。それで、昨日たまたま、久留米の居酒屋で飲んでたんですが、隣のおばさんと話しよったらですね、その鬼夜保存会会長であった光山利雄さんという方がいらっしゃって、偶然にこの方とのお話になったら、今年2月に残念ながらお亡くなりになられたと。


で、鬼夜の保存会会長さんだったんですね。もう、ビックリしまして、昨日はちょっとショックでした。で、その光山利雄さんに初めてお会いして以来ずっとこの久留米の土地に通っておりまして、それがご縁となりまして、1900年御神期大祭が平成14年に開かれたんでしたっけね?あの時に光山先生が私の邪馬台国説が面白いと、とにかくこの「水沼の皇都」、久留米、大善寺玉垂宮こそが邪馬台国の一つの都だったんじゃないか?ってことを言い始めたら、光山さんがえらく気に入ってくださって、それで1900年御神期大祭にぜひ来てくれと。


アンタよと。古田武彦、あれはアカン。古賀達也、あれは高良大社寄りや、アカンと。もう、最初から玉垂宮・大善寺だけを言うてきたアンタに来て欲しいと。そう言われてですね、こちらにお呼びいただいて、それで御神期大祭の記念講演会出させてもらったんです。ビックリしました。3つ講演がありましてね、1番目が久留米教育委員会の方。2番目が九州大学名誉教授の方。


私が当時、都立昭和高校教員でしたけど、私がトリ。私自身、驚きましたですね。それで、お呼びいただいて、それからもうとにかく倭歌が、ヤマト歌が、万葉集、とにかく古事記、日本書紀とは違う歴史を詠っているということに目を見開かされまして、それでここに書いてありますように「神功皇后紀を読む会」というのも、もう7年、6年前に立ち上げたんですかね?もうそれ以来ずーっと久留米に寄って、神功皇后さんを調べぬきまして、それで日本書紀をどんどん読んでいき、それから更に万葉集をどんどん読んでいく中で、次々と今までの日本古代史とは全然違う古代史像が現れてきてしまったんですね。


「しまった」と言っておきましょう。自分でも予測しなかったわけですから。それをやっていく過程でですね、色んなことがわかってきまして、それで神功さんを調べてる内に、筑豊の土地に入り込みましたら、これが今度また神武天皇さんと重なるんですね。神功さんが行かれてる所には、これまたほとんど神武天皇も来られてる。そういう神社の伝承がですね、もう筑豊のあちこちのお宮さんに伝わっとるとですよ。


何で神功さんと神武さんが重なるんだ?と。それで今度は神武さんをいよいよ始めまして、それで段々段々、もう倭歌の世界に虜になっていきましてね。その倭歌から見直すと、日本古代史、特に日本書紀はどうもおかしいと。書いてあることは一つ一つ事実なんだけども、どうも日本書紀の編集者が一体この地名がどこを指すのかということを、何か知らんけど、はぐらかしとるということが見えてきまして、それで一番最初に取り組んだのが、次に取り組んだのが、「天香山」だったんですね。


「あまのかぐやま」です。もうご存知ですよね、みなさん?知らない方はもう古代史の講演なんかは聞く資格がないと言っていいぐらいですが。日本書紀こう書きます。具体的の「具」の字、入りませんね。「香山」と書いて「かぐやま」と読ませます。古事記、日本書紀を読みましても、「天香山」というのは実に簡単な話なんですが、古代に「金が採れた。銅が採れた。鉄が採れた」。


で、中でも銅が非常に豊富に採れて、その銅から鏡を作った。こういうのが神代の巻にたっぷり出てきますね。「天香山」引いたら、もう神代の巻はほとんど銅とそれから作られた銅鏡の話ばっかりです。例の「天の石屋戸事件」でも「天香山」出てきます。そこではあろうことか、素戔嗚尊がですね、天照大神、これがまたみなさんの考えている古代史と全然違いまして、私の言う天照とは「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」って言うんですがね。


かつての宮田町、私の生まれ故郷なんですが、磯光にあります「天照宮」、ここに祀られている神様で、「ニギハヤヒノミコト」と言います。どうもこの人が「アマテラス」らしい。あれ、男やないか?と。「女神様」と違うぞということになってきたわけなんでありますね。それで私が以前こちらの九州古代史の会でも話しました時に、若い人にえらい怒られました。


「天の石屋戸事件」の一番大事な所は何かというと、例によりまして天鈿女命(あめのうずめのみこと)がストリップやって、神様がワイワイ騒いでると。それで石屋戸の中にこもっていたアマテラス様ですね、何やっとるんじゃ?と。えらい、にぎやかだとこうやってコソーっと扉を開けた。磐戸を開けた。それを田力男命がググーっと力任せ開いたっち言うんですね。