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2017年3月1日

#003 「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三 [2時間35分~2時間40分]



<~國人言今為鎮國香椎大神~>と書いてありますね。言うと書いてありますね。これ、変でしょ?仲哀のことを「鎮國香椎大神」と言うって書いてありますね。これ、日本史どこにもないですね?ところが、東大寺の僧・奝然が中国に持って行った『王年代紀』に書いてあったことを基に中国の歴史官が書いたとしか考えられないですよね?中国の歴史官がこんな詳しいこと知ってますか?


「香椎」なんて言葉。こういうこと書いてあるんですよ?平気で。で、次です。ほら、見てください。<~次神功天皇~>でしょ?(*省略)「神功天皇」。で、この神功天皇についての説明がありまして、<~開化天皇之曽孫女又謂之息長足姫天皇國人言今為太奈良姫大神~>と言ってありますね。聞いたことあります、「太奈良姫」?これ、神功(*訂正済)の別名だそうです。うん。


こういうことがですね、宋史には簡単に書いてあるんですよ。次もっと面白いですよ。<~次應神天皇甲辰歳始於百濟得中國文字~>と書いてありましてね。で、<~今號八蕃菩薩~>、と言うっていうことで、やっぱ八幡様になってるんです、応神さん。これが、この『王年代紀』でこの神功天皇さんが入ったら、神功さんが「第15代」になっちゃうんですよ。数えてください?15代でしょ?


応神じゃないです。15代は神功さんです。そうでしょ?それで、みなさんご存じかどうか知りませんけども、(*省略)「筥崎宮」、筥崎宮(はこざきぐう)で数十年ぶりか百数十年ぶりというぐらいに、神功皇后に関係する謡曲がお披露目になりました。その時に、司会にあたるような人が口頭で伝えるんですがね。「人皇第15代神功こうぐう」と謡うんですよね。「人皇第15代こうぐう」と謡うんです。


これも「こうぐう」という言い方が玉垂宮の縁起にも残ってます。ひらがなで「こうぐう」って書いてあります。だから、「神功皇后(こうごう)」って言わなかったんじゃないですかね?「神功こうぐう」って言ってたんですね。どんな字があたるんでしょうね?能狂言と玉垂宮縁起が一致する場面なんです。で、この能狂言の世界の人はこれ文字にしてくれないんですよ。だから、証拠出しようがないんです。


その時、テープ撮っときゃ良かったなと思うんですがね。言えば謡ってくれるとは思うんですけど、金出せば。明らかに「人皇第15代神功こうぐう」って言うんです。この王年代紀の15代とやっぱあたるわけですよ。だから、能狂言も起源が古いわけですね。今の『日本書紀』の系譜と違うんですよ。それぐらい神功天皇さんていうのは貴重な存在なんです。何せ、70年近く『日本書紀』では天皇位が「空白」なんですよ?


神功さんの時代、まるまる。仲哀さんから応神さんまで79年も空くんですよ?おかしいです。こんなことは。日本史において。何せ、明治天皇は「万世一系」で成り立ったんでしょ?じゃあ、神功皇后さんの間79年どうするんですか?『王年代紀』は明らかにこう書いてある。だから、今の天皇家さんも国学以来の学者たちにごまかされて、で、今上陛下が125代って言ってるんでしょ?


でも、これで神功さんが入って、最初に紹介したタギシミミノミコトさんが2代目に本当にあたるんだったら、最低限もう2代追加しなきゃいけないですよね?これくらいに、天皇の系図っていうのは残念ながら、ズタズタです。時にイデオロギーによって消されます。神功さん、見てください。これ。本当に私の創作じゃないですから。


宋史日本伝に書いてあるんですから、この通り。「天皇」さんでしょ?はい、それくらいにやっぱり数少ない「女帝」の、しかも「バリバリの女帝」ですよ。御腹に応神宿しながら、新羅征伐やって、この土地で熊襲退治やり抜いて、桜桃沈輪退治して、それで新羅征討から帰ってきて、宇美八幡で、蚊田の森で、それで応神産み落としてでしょ?