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2017年2月20日

#003 「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三 [2時間10分~2時間15分]



その乙女たちの姿を見ながら、その8世紀の今の乙女たちの様子を歌いつつ、その伝承の元になった神功皇后のことを詠ったのがこの歌ですね。<帯日売(たらしひめ)神の命の鮎釣ると御立しせりし石を誰見き>(山上憶良)という歌です。で、これ私が最初十数年前に撮った写真ですから、こういう風になっておりますが、今、公園になっておりましてね、碑がこうちょっと変わっとります。現代風に。


それから当時、注連縄が張ってありましたけど、今年、昨日行って来たら、もう張ってありませんでした。で、この歌の解釈はこれも私がこの国で初めてやらかしてしまったんですが、[帯日売神神の命~]神功さんのことです。[~が鮎を釣ると御立ちになった石を誰が見たか、~]現地の説明でもそこまで解釈してあります。


ところが、もう一度言いますけど私国語の教師ですね?この<~誰見き>という疑問文は古典の時間には「反語」の可能性もあります。つまり、[~誰が見たか、いや誰も見ていない。]この歌はこれが真意じゃないか?と思われるんですね。で、面白い…面白い?いや何て言いましょう、怖い?話なんですが、『古事記』で神功さんのこの場面お読みになってください。(*省略)


<末羅の縣の玉嶌(たましま)の里に到り坐して、其の河邊に御食しし時、當に四月(うづき)の上旬なりき。爾くして其の河中の磯に坐して御裳の糸を拔き取り、飯粒(いいぼ)を以ちて餌と爲し、其の河の年魚を釣りき≪其の河の名を小河と謂ふ。また其の磯の名を勝門比賣と謂ふ≫>つまり今、ここの写真にお見せしてる石には「名前があった」っち言うんです。


「かちどひめ」と言います。「勝」に「門」と書きまして「比賣」です。「勝門比賣」。何で「人間の名前」が付いているんだろうか?という疑問を持ちました。で、これから先が私が高校生にも時々語る話ですが、古代の戦争において相手の大将か何かが生け捕りになりますと、最終的には死刑になります。その死刑の内の一番身分の高い者に与えられたのが、四肢の解体、手足を切り落とす刑。


みなさんがよく知ってるあの「ダルマ」の起源です。あの人形には「手足」がありませんね?「目」がありませんね?全身「赤まみれ」ですね?アレです。これ、どこの新聞の記者だったか忘れましたけども、読売でしたかね?沢史生という人が抜き出したんですが、古代の戦においては敵の酋長はそうやって最後は生け捕りされた場合には手足を切り落とされて、失血して死んでいくという、そういう残虐な刑を受けたそうですね。


それを昔の言葉で「石ころにす」っち言う。そこから現代の「ころ()す」という言葉は生まれたんじゃないか?と沢史生さんは言うわけ。神功さんはこの時、それをやらかしたらしい。勝門比賣の手足を切り落として「石ころ」にして、その上に立って年魚を釣ったわけです。だから、山上憶良は詠ってるんです。[~御立ちになった石を誰が見たか、いや誰も見ていない。]