4261番、注目してください。<水鳥の多集く水沼~>、<皇都>赤文字で書いてあります。これが水沼の皇都の(*不明)だったんです。「水沼」ってどこですか?って、もう。筑豊生まれの私もすぐ気付きました。なぜか?私高校3年の時に、実は久留米高専受けたんです。補欠合格でした。それで県立の鞍手高校の方が合格だったんで、中学校の先生が「どうせなら、大学行くために普通科高校に行け」と。
そういう風にウチの両親に言って、両親がそれを「ウン」と言っちゃったもんですから、それで僕は補欠でも久留米高専入りたかったんですが、鞍手高校に行くことになって、國學院大学に行くことになったわけです。それが結果的にはこれにつながってるわけですから、人間の運命わかりませんねぇ。さて、久留米に高校の時から関心がありました。まぁ、久留米高専に来ようと思ったくらいですから。
ここが三潴(みづま)郡ということは、やっぱり筑豊の人間でしたから知ってました。この土地でしょう?「水沼」って。「水沼の君」もいますし。もう、ここしかないじゃないですか?ってことで、この歌は他のある人が言い始めたんです。今、神功皇后紀に来てるナガイ(*不明)さんという方なんですがね。古田武彦という人が、「台」というのは「湿地」だと。まぁそういうことを、何か変なこと言い始めましてね。
それで「台」が湿地だということを示す歌がないか?というの、ナガイさんが探して、4260番の方に彼注目したんですよ。<腹這ふ田為を京師と成しつ>。「田為」って当然、水田のことですから、これ「水」だと。だから、ここにあの「台」というのが湿地だということの条件が入ってるじゃないかということでこの歌が取り上げられたんですね。私はこれを聞いて、実はその隣の4261の方に目が行ったんですよ。
「何だい、これ<水沼の皇都>?」って。もう私はこっちのがビックリだったんです。上の方は何てことないでしょ?田為を京師と成したっち言うだけで、「田為」というのはどこでもあるわけですよ。まぁ、それは「大」したことないと…ただの洒落ですよ(笑)。で、水沼の皇都ってどこやろうか?と。そらぁ、三瀦郡やと。とにかく久留米の辺りやと。もうそこはすぐわかったんですよ。この歌、細かく調べました。
結果的に、でもしかしこれはですよ、両方同じ土地を詠んだ歌だってことに最終的に気付くわけですね。そしたら、<赤駒の腹這ふ田為>というので、これは後でね、ウチの女房が気付いたんですがね。「赤駒」、一字で「馬」。「腹這ふ」、これ「よこさま」(横様)になるっていう意味があるんですよ。その「よこさま」という言葉を、もう一つ言い換えると「よこしま」(邪)っていう言葉なんです。
漢字で書くと邪馬台国の「邪」なんです。ここに「田為」=「台」あるから、私のことを女房は「しんちゃん」と言うんですがね、「しんちゃん、ここに「邪馬台」って書いてあるじゃない!」なんち言うんですよ。「はぁ??」って思って、「あら!?」てな感じで(笑)。つまりこれ、いわゆる「謎歌」じゃないか。「赤駒=馬」、「腹這ふ=横様(よこさま)=邪(よこしま)」、そして「田為=台」、合わせると「邪・馬・台」=「邪馬台」。
だから、邪馬台(やまと)の国を「やまたい」とよんでる、あの歴史が頭にある人が、こういう洒落の歌を作ったんじゃないかな?と。じゃあ、「邪馬台国」と「水沼の皇都」は同じじゃないか?と。結局これ、詠んだ人は違うって書いてあるんですが、実は本当は同じ人が詠んだ歌だろうということが後で証明出来たんですがね。しかもそれ採録されたのが天平勝宝4年なんです。大伴家持あたりが採ってるんですけどね。
この歌に俄然、水沼の皇都、つまり最低限この久留米辺りに「都」があったらしい。「こら、大したことばい」ちな感じで、もうそれの証明に入ったわけですね。それで、その当時東京古田会にいたんですが、東京古田会に今死んでしまった(*省略)高木博君がですね、「じゃあ」ってことで「久留米行こう!」と、ということでなったんですよ。そこに来るまでに既に大善寺玉垂宮という、「鬼夜」の祭りというのがすぐ情報でこう届いたんですね。
それじゃあ、第一の候補地として正直それまで古田武彦さんは高良大社ばっかり行きよったんです。高良大社ばっかり。ところが、私のこの歌で水沼の皇都という言葉に気が付いた瞬間に、「水沼」でしょ?上が「田為」でしょ?どう考えてもこれ「平地」ですよね?