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2017年1月26日

#003 「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三 [1時間25分~1時間30分]

それから共立されて、女王が共立されたとあります時に、今度は狗奴国と戦争したと書いてありますね。その狗奴国が実は山鹿・菊池辺りを中心にします。この土地がしたがって、日本書紀に書かれた(ひむかのくに/ひむきのくに)と思われます。それは女王の時代、卑弥呼の時代にはこれが狗奴国と呼ばれた国だと思われます。だから私もここに来て、古川さんに案内されてもらって、この一年でようやく神武さんの日向国と女王卑弥呼の時代の狗奴国というのが同じ場所だということに気が付いたわけです。


こちらの地名研究会が特に中原先生や、それから古川さんあたりでやっていらっしゃる、あの菊池の茂賀の浦という弥生の大水田のあの経済力をバックにした国だということもわかりました。だから、「現実」です。あれだけの田んぼのある国ですから。後の菊池氏でもいいですよ。だから、あそこの王様が「ククチヒコ/キクチヒコ」っち言うんでしょ?「キクチ」でしょ?「菊池」の土地ですよ。神武さんが何とあそこの出身なんですよ。


それで彼は吉野ヶ里を滅ぼして、筑紫の博多湾まで出て、それから力を蓄えて、45の時に、倭奴国・豊の国をやっつけるわけです。年代的にも当たりますでしょ?地理的にも当たりますでしょ?これだけの強国ですもん。みなさんの中にひょっとして、魏の国の援助を受けての狗奴国は滅んだと考えてる人いらっしゃいませんか?あれ実は倭の国・邪馬台国の方が負けるんですよ。なぜかって、卑弥呼さん死ぬんですもん。


あの詔書と黃幢(こうどう)を貰うことによって、難升米が貰うことによって。卑弥呼さんは敗戦の責任を取らされて、死に追いやられるんです。あれはあの三国志の文句のたった一つ、<卑彌呼以死>「女王卑弥呼以て死す」の<以死>、あの二文字にあるっち言うんです。あの「以死」というのは三国志の全編を追いかけた時には、何らかの咎によって自死に追い込まれることを「以死」と言うんです。


卑弥呼さんは自然死したんじゃないんです。自殺せざるを得なかったんです。昔の王様ってのは大変なもんでしてね、国が傾くような危機をむかえた時には王が犠牲になる。王が犠牲になるんです。だから、卑弥呼さんはあそこで死に追いやられるんです。だから、難升米が血筋がどうかわかりませんけど、彼が後を継ぐんですよ。それでもしかし、国が乱れて服さなかったから、しょうがないから、卑弥呼さんの宗女といわれる臺與を立てたわけでしょ?


それでやっと国が定まったって書いてありますよね。それだけ男王が立つと、どげかあの国はおかしくなるっち言うんです。これはだからやっぱり、手研耳命が殺されて以来の倭国の宿命的な対立なんでしょ?だから狗奴国、強大な国です。滅びませんよ。だって律令時代にあそこに鞠智城も築かれるんですもん。装飾古墳あそこにいっぱいあります。私はそこで色々聞かされました。


えーっと、あれはチブサン古墳の所に行って、あそこの学芸員さんが、近頃この現地の学者が言うことには八女のですね、岩戸山古墳とそれからチブサン古墳は実は同一文化圏の古墳であると。岩戸山古墳の石人石馬の材料は、山鹿の石が使われていると。これは学者さんたち調べたそうです。はっきりしています。これで狗奴国の領土がいかにデカいかわかるでしょ?


私がもう一つ考えてるのは、この久留米の土地がその狗奴国の「最北の地」じゃなかったか?って一つには考えてるんです。これはなぜかと言いますと、私がここの久留米の土地に来た時からずーっとここが狗奴国じゃないかな?と思ってたんですが、理由はたった一つです。朝鮮語において、「r音」と「n音」が交替するんです。これは一番有名な例が、「ツ()ガアラシト」(都怒我阿羅斯等)、あの「ツヌガ/ツノガ」というのが、今の「敦賀」(つるが)です(TSU[n]UGA→TU[r]UGA)


「ツ()ガ」です。つまり、「r音」と「n音」の交替を考えたら、「クルメ」(久留米)の一番大事な「ク()」の部分が「n音」に戻ったら何になるんですか?「ク()」でしょ?「狗奴」でしょ?(KU[r]U→KU[n]U)「メ」というのをお隣、「ヤメ」(八女)の「メ」であるとした時に、まぁそれと同根の語かと考えた時に、固有名詞はやっぱり「クヌ」、「狗奴」でしょ?