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2017年11月14日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [2時間50分~2時間55分]

さぁ、その上見てください。で、今でこそ『旧事本紀』という書物はですね、明治以来の歴史学によって貶められてしまったんですが、江戸時代までは国学をやっていた本居宣長先生の頃までは『古事記』『日本書紀』『旧事本紀』というのは非常に大切な歴史書でありましてね。で、中でも『旧事本紀』が実は最も大事な書物だったんですよ。これがどういうわけか明治時代になって、評価が貶められたんです。で、『日本書紀』が正統とされちゃったんですよ。


だから、わずか百数十年の歴史なんです、『日本書紀』が重要になったのは。で、その『日本書紀』が当てにならんって言って、『古事記』だけが本物を書いたって言ったのが古田のおじさんなんですけどね、これもまたペケだったんです。実はこの三つが最も大事なんです。中でも『旧事本紀』が一番大切だったんです。なぜかと言ったら、あのところにはですね、「天神本紀」「天孫本紀」「天皇本紀」「皇孫本紀」って、わけのわからない本紀が並ぶんですよ。


で、「本紀」というのはみなさん司馬遷の『史記』という書物をご存知でしょうけど、あれは中華帝国の中心にいた人物の記録を「本紀」っち言うんです。じゃあ、天神が本紀で、天孫が本紀で、皇孫が本紀で、尚且つ天皇が本紀であったら、一体誰が倭国の中心です?中心が「四家」もあるんですよ、あの本では。だから、これは明治以後の天皇家にはそぐわない書物だったんです。だって、「天皇家」以外に「本紀」があるんでしょ?だから、貶められたんです。


『日本書紀』こそが、天皇だけを書いてあるから、これが一番正しい歴史書、それがみなさんの頭に刷り込まれた、みなさんが多分おじいちゃん、おばあちゃんまでが刷り込まれた、この明治以来の日本史の歴史だったんです。百数十年の「誤解」ですよ。『旧事本紀』が一番重要だったんですよ、江戸の終わりまでは。その『旧事本紀』の中にですね、こんな系譜が書いてあるんですよ。はい、物部氏。これが大事な「天孫本紀」です。さっきお知らせした「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」ですね。


こっから始まりましてね、すぐ分かれるんですよ。一つは「天香語山命」の系統、「天香語山」ってのはもちろん「天香山」指します。だから、これが多分香春に残った神様です。この系譜はずっと「倭奴国」の系譜ですね。それからもう一人の「宇摩志麻治命」。これがですね、この人物こそが瀬戸内海を渡って大阪方面、今の近畿方面に進出した物部です。だから、その隣に書いてある「河内物部」は当然「宇麻志麻治命」から始まるわけですよ。これは大阪の河内のことです。


これで一致しましたでしょ?現地倭に残ったのは「天香語山命」です。天香山、あの山ですから。それに対しまして、大阪方面に進出していったのが、東遷していったのが、だから「東征」、ここでだからもう一つの東征があるんです。「物部氏の東征」があるんです。これは神武の東征の「前」です、だから。これこそが、向こうの「宇麻志麻治命」の系譜です。だから、向こうにニギハヤヒの伝承があるんです。哮峰(たけるがみね)に降臨するんです。


だから、当然ニギハヤヒの伝承持っていきますよね?息子さんですから。で、その河内物部氏の系譜があります。それから、亦名が「天火明命」である時に、どういうわけか「海部(あまべ)氏」、これは丹後の方ですかね、籠宮(このみや)。それから「尾張氏」の先祖も実は「天火明命」で、その祖が実は「天香語山命」から始まるというように、この物部氏には、だから系譜がいくつも分かれていくんですね。


そうして、一番天孫本紀に書いてある系譜でいくと、一世・天香語山から始まって、「天村雲命」、歴史に詳しい方、ここでビックリするでしょう?「あまのむらくも」ちゃ、何ですか?ほら、「剣」。この人が持ってた剣でしょ?「天叢雲剣」。こんな神様いたんですよ、ご先祖が。それから「天忍人命」、それから次が「瀛津世襲命」(おきつよそのみこと)ですね。


それから「建箇草命」。「建田背命」。それから「建諸隅命」。「倭得玉彦命」。そして、9世見てください。「弟彦命」で、ここだけ特別に妹は「日女命」(ひめのみこと)って書いてある。で、さっき言いましたように実は神武は香春の土地に宮を建てて、そこで即位しますね。