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2017年11月15日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [2時間55分~3時間]

香春の土地の物部の媛さん貰って、そしてあの綏靖、神八井耳命と三兄弟を産むわけであります。で、手研耳命、つまりニニギノミコトの直系は暗殺されて、再び天物部氏、つまり倭奴国の血を引く帝さんが立たれて、で、手研耳命さんがやられるから、ここから倭国の乱、「倭国大乱」が起きるわけですよね。で、物部さんが黙っちゃいなかったわけです。オラっちが主流だいっちな感じで。戦争するわけですわ。で、そうしますとね、天皇家の系譜が非常におかしくなりましてね。


これ、私の仮定です。で、この「天忍人命」(あまのおしとのみこと)のところで、神武さんが倭奴国を倒したらしいんですがね。だから、次の4世の名前がヘンテコでしょ?「瀛津世襲命」(おきつよそのみこと)「世襲」って書いてあるんですよ、ここで。ところが、3世までは海部・尾張氏の3世は同じなんですけど、4世がここで変わりますでしょ?海部・尾張氏では4世が「天登目命」(あまのとめのみこと)になりますよね?こっからが全部、ほとんど名前が変わっていっちゃうわけなんですね。


途中でまた7世の「建諸隈命」(たけもろすみのみこと)、それから8世の「日本得魂命/倭得玉彦命」でまた合流するんですがね。これがヘンテコなんですよ。だから、ここでだから、「天忍人命」、このあたりで神武さんによって東征をやって、それで物部の国、要するにニギハヤヒノミコトの国を武力で統一してしまったんではなかろうかと思われるわけですね。


そうすると、実はこの後物部の系譜に入るわけでございますよね。そうした時にですね、これが中々合わんのですよ、年代が。したがって、倭国大乱の間、所謂「欠史八代」綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化、このあたりは実は「縦」の系譜ではなくて、倭国大乱の時に、同時系の時に争った人たちの系譜ではないかと。つまり、これは本来「横」の系譜じゃなかったのかなということが今回やっと見えてきたわけなんですね。


で、その中で『日本書紀』の中に現れないんですが、その崇神にあたるところの次の9世あたり、つまり神武から数えると、神武の時の「天忍人命」から7世のあたりに「弟彦命」(おとひこのみこと)がいて、妹が「日女命」(ひめのみこと)とあるんで、この「日女命」こそが「ヒメコ=卑弥呼」じゃなかろうかって想像したんですね。で、その時『魏志倭人伝』に「男弟」(*訂正済)、男の弟の王がいたって書いてありますでしょ?


ところが、ここでは「お兄さん」の名前が「弟彦命」っち言うんですよ。偶然にしちゃ出来過ぎでしょ?偶然にしちゃ出来過ぎでしょ?そして、みなさんもっと驚くと思いますよ。11世、何て読むんですか?これ。「乎止與命/小登与命」(おどよのみこと)です。「おとよのみこと」です。これが下手したら、卑弥呼の宋女「臺與」(とよ)でしょ?。だから、あれもだから「壹與」(いちよ)じゃなかったんです。「臺與」と書いて、またこの読みです。「台与」です。「トヨ」です。


で、「トヨ」って言ったらもう一番最初に紹介した「豊国」の「トヨ」です。だから、「美称」で済ませたら絶対ダメなんです。全部、「豊国」指していた。で、「トヨ姫」伝承は豊前の国に豊富にあります。豊後にかけて。(*省略)ということで、神武天皇の本当の復元をやっていくとですね、これだけ中国正史と現地伝承と『日本書紀』とを横断しましてですね、多分みなさん俄かには信じがたいと思いますが、これだけの歴史事実が浮かび上がるわけですね。ということで、「神武は筑豊に東征した」、『日本書紀』の神武天皇紀の復元の一考察というトンデモナイお話しを終わります、はい。


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