「そんな馬鹿な。あんまりにも遠すぎるやろうが」っち。誰も信用してくれないです。ひとり悶々と悩んでます。しかし、それ以外に考えようがない。で、それでですね、もう一つやった時にですね、その「大石峠」という峠の近くに「一尺八寸」って書いた山があるんです。「一尺八寸山」っちいうのが。で、これがですね、中津市にある所のね、ギリギリ山なんですけど。「みおうやま」って読むんですよ。「みおうやま」。日本一難読の地名なんです。「一尺八寸」と書いて、「みおうやま」。
で、私がまたよからぬ妄想をやってしまったわけです。だから、この「大石峠」まで、「杷木神籠石」を運んできて、これ一立方メートルの大きさですけどね。で、これをその香春の地下水路に使ったわけですから、ここでひょっとして「1尺8寸」に加工したんじゃないかいな?と。で、少し加工した物を今度はまた舟に積みなおして、山国川を下っていったんじゃなかろうか?と。で、これを言い始めたらまた古川さんたち一行、みんな「ウン?そら、いくら何でもありえんやろ?」っつうな感じ。
未だに誰からも信用してもらえません。偶然ちゃ恐ろしいもんでしてね、去年の9月の連休に本当に杷木神籠石の石を使ったんかいな?と思って、杷木神籠石を確かめて、で、朝倉の学芸員さんに訪ねて、「あそこ本当に石が出ないですよね」って、これだけは納得してもらった。「ああ、間違いなくあそこ出ないです。本当に情けないくらい石がないです」と。もうこれは確認したんです。で、それでその前に発見しとった「吉野宮」にもう急いで入って、で、また直方に入るわけですけどね。
で、その時に通ったのがずーっとそれが横が「川」が流れとったなぁと。で、それで「大石峠」越えて、その下の国道通るんですけどね、トンネルを。それを越えたら、またも「川」が続いとったと。あれ思い出した瞬間に「ああ、そういえばあれ、ずーっと水系続いとるなぁ」と。まぁ、ここまで妄想しちゃったんですけどね。で、大事なことは、もうここで言った、その杷木神籠石の石を使ったかどうかというのは置いときましょう。
これでもう、とにかく「石組みの地下水路」が出てきて、まぁその石の一部なんかね、借りて、採ることができて、そしてまぁ、杷木神籠石の許可が出るかどうか、わかんないですがね。あれもちょっと削って、それで石の成分を調べて同じものだったら、私の仮説大当たり。また歴史が大きくひっくり返るわけです。斉明さん、そういう大土木工事やったわけです。
で、もう一つわかんなかったのが、何で近くに「鹿毛馬神籠石」があんのに、あれ使えば距離も近いし、簡単なのに、何でわざわざ杷木神籠石の持ってくるんかいな?と。これ、しばらく考えよったんですよ。そしたらですね、またこれさっきの「倭奴国」の話、『魏志倭人伝』の話、それから「邪馬台国」「倭国」の話、そして『魏志倭人伝』で、女王国と戦争しよったのどこですか?「狗奴国」でしょ?狗奴国の王様、何て名前ですか?「キクチヒコ(狗古智卑狗)」。ほら、この「菊池」ですよ。
ここが「狗奴国」ですよ。ここが女王国と戦いよったんでしょ?ほんでもう、古川さんに今日ずーっと午前中ここずーっとね、見せてもらいましたけど、すごい「穀倉地帯」ですよね。女王国と十分に戦えた所ですよね、うん。で、この「狗奴国」の「狗」というのもさっきの「天狗」さんの「狗」でしょ?だから、ニギハヤヒの倭奴国のやっぱり一部正統の跡継ぎなんでしょ?こっちが。こっちが正統なんでしょ?だから神武さん、倭奴国を倒した神武さんの王朝には加勢せんよと。
それで卑弥呼さんが立った時には「倭国大乱」だったわけでしょ?で、例えば狗奴国のキクチヒコさんなんかが、「俺たちの方が、実は倭奴国の正統や」って言ったら、女王国にはやっぱ従えんでしょ。戦争するわけですよ、やっぱり。その地理的な環境も整ってきたわけです、また。で、先程の話に戻ります。何で斉明さん、わざわざあんな遠い杷木神籠石の石使うんや?と。もう、出てくる答え一つ。あれは「狗奴国の王が建てた神籠石」なんでしょ?
「鹿毛馬」は下手をすると斉明さんの先祖が建てた物かもしれん。だから、何か知らんけど先祖にゆかりがある土地かもしれん。だから、その自分の国にある神籠石は流石に手付けなかった。だけど、それはかつての女王国と戦争した「狗奴国」の遺跡だったら、こらぁ憚ることないでしょ。壊したかて罰は当たらんと。だから、もう一つの証拠は杷木神籠石に「朝倉」近いでしょ?もう今、朝倉市です。したら、斉明さんどこに来たですね?「朝倉橘広庭宮」に来たんでしょ?