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2017年11月7日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [2時間25分~2時間30分]


この「大事業」、斉明さんがその火山被害にあった時の656年に成し遂げたんですよ。その水路が今も「現役」なんですよ。香春の町で。驚くでしょう?もう、「世界遺産級」なんです。あんな奈良県の「亀石」なんて、今でも水流れてないですから、あれ。香春の吹き出しは今も滔々と水が流れるとうですよ。で、コマツさんという、農業をなさってる方の田んぼからも、この「吹き出し」が壊れて噴き出したんですね。


もう、それでしょうがないから急いでコンクリートで上を覆って、それでも水止められんから、もう後から後から流れるわけですから、それでしょうがないから自宅の庭をその水通して、それで反対側の水路にいつも落として、もう流しっぱなしの水があるんです。で、庭に出とるからどう見ても綺麗な水なんでゴクンと飲みました。美味かったです。「吹き出し」の水はあるんですよ。すごいもの発見しちゃったんですね、十数年間かけて、とうとう。


これが「動かぬ証拠」になったらですね、もう一回言います。神武から斉明さんまで全部、香春の町、OLDヤマトの国、倭王朝はそこにずーっと存在し続けたわけです。で、それで次にですね、今取り組んでるのがもう一つ大きな問題がありましてね。で、この時に僕はさっき言った「飛鳥岡本宮」の大坂山は北に当たるわけなんですよ。だから、方角間違うとりゃせんやろか?と思いよったらですね、今度はまったく別の角度からですね、中国の西安、昔の長安ですね。


あの街外れから、百済人「禰軍」(ねぐん)という人物の墓誌銘が出てきたんですよ、一昨年。で、去年に王連龍さんという中国の学者がこれを発表したんですね、墓誌銘をね。その禰軍さんという人は、実はみなさんがお持ちの『日本書紀』の天智4年のところに書いてあるんです。禰軍が日本にやってきたって。その禰軍さんなんですよ。で、この禰軍さんというのは白村江の戦いの前に一度百済は滅びますよね。で、唐に降伏しますよね?この唐に降伏した将軍さんなんです。


で、百済の、古代百済では一番最高の位の佐平(さへい)という職分にあった人なんですね。で、この人がとにかく唐に降伏した。で、この百済という国はどういうわけか日本、当時の倭国と仲が良かったわけですね。で、九州古代史の会にいる兼川晋さんという人が(*省略)本の中で書いたように『百済の王統と日本の古代』(*?)という本書いてますけどね。で、その兼川さんの考えによれば、分析によれば、その久留米にあった国が、神功皇后が建てた国が、その後応神、仁徳と続くんですがね。


この国が要するに、「兄(あん)ちゃん百済」であると。百済のお兄さんにあたる家系だと。そして朝鮮半島にあったのが実は「弟百済」だっち言うたんです。だから、『日本書紀』の中に面白いことに、この「兄ちゃん百済」であるところの応神天皇あたりがですね、「弟百済」が敵の新羅と通じると、「お前、何けしからんことしよるか」って言って本当に何度か謀反を起こした百済王の首をはねて、新しい王をつけて帰ってくるという記事があるんですよ。『日本書紀』の中に。


「何で倭国がそんなことが出来るんかいな?」っていうことを分析したのが、その兼川さんの要するに、まぁ兼川さんのくだけた言い方で言えば「兄ちゃん百済」と「弟百済」の話なんです。その「弟百済」が滅びるわけです。その滅んだ時に降伏したのが、その禰軍さんという人なんですね。まぁ日本史の世界では「でいぐん」って読むんですけどね、漢音でね。(*省略)その禰軍さんが倭国に来たんです。斉明天皇か天智天皇か、どっちかようわからんのです。来たんですよ。


で、その天智4年の記事で、その禰軍さんたち一行、その他に「郭務悰」(かくむそう)とかですね、それから「劉徳高」(りゅうとくこう)ですか、そういう人々がやってきてるんですよ、唐の兵士2000人と一緒に。で、この人たちがやってきた時に、その日本の天皇さん、斉明天皇か、あるいは天智天皇かよくわからんですがね、これが。斉明天皇と仮定しておきましょう。


この斉明天皇さんが、その唐の軍を「閲兵」したって『日本書紀』書いてあります。で、その場所が「菟道」(うじ)って書いてあるんですよ。で、今日みなさんにはお話ししてないんですけど、この「菟道」というのがやっぱり京都の宇治じゃなくて、OLDヤマトの国のその香春の所に実は「宇治天皇」仁徳さんがいらしたらしいんですよ。