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2017年11月6日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [2時間20分~2時間25分]

だから、「江戸時代説」はずれ。これは斉明天皇が「国家事業」でやった一大公共事業であったろうと。で、その大坂山の中腹にある「呉中平雪穴」というのも、明治時代にここに溜めた雪をですね、夏になったら、まだ解けずにあるんで、これを飲料、要するに飲み水としての氷じゃないんですかね、雪ではないんですが、まぁとにかく冷やすために近隣に売って歩いとったっち言うんですね。近くの人が。で、それが明治の人やから、じゃあ「明治時代」に造られたんやろうと。とんでもないんですね。


それだけの穴を掘って、それだけの石を集めて、石組みをやるっていったら、(*省略)一家、例え10人いたとしてもですよ、何年かかるかわからない大きな穴なんですよ。だから、これこそが斉明天皇2年紀に書かれた<宮の東の山に石を累ねて垣とす>(*訂正済)という遺構だと思うんですね。そうすると、香春町に何と「謎の地下水路」、「石組みの地下水路」と尚且つその<石を累ねて垣とす>(*訂正済)私もアホやから、最初は石垣、上に伸びとると思ってたんですよ。石垣みたいに。城の石垣みたいに。


「逆」だった。掘ってあったんです。あったんですよ。これがまた45年前に柳井さんに案内してもらってたんです。その頃は柵もなかったんで怖かったですね。落ちたらもう上がってこれんという穴ですね。そういう巨大な物が残されとりまして、で、最初はその遺跡が二つあることはわかったんですけど、じゃあ斉明天皇は何のためにこの「地下水路」とその「石垣」を造ったのか?と。で、この理由はもう文学系の私にはさっぱりわからんかったんですよ。


そしたらまた、先程のこの川の流れ、「河川争奪」を言い当ててくれた高見大地さんという女性なんですけどね、この方が実は理科系の人で、カナダで17年間、リモートセンシングという学問をなさってた方で、要は人工衛星から撮った地表の写真を分析するという仕事、カナダで17年間もやってたという理科系の人なんですがね。で、この人がやっぱりその例えば「火山考古学」というのやってらっしゃっるんですよ。


で、その豊前の土地というのは豊後にあった「鶴見岳」とかですね、「由布岳」というのが爆発してて、この「火山性ガス」が季節によってはその豊前の土地を襲うってわけですね。この「火山性ガス」によって、先程言った<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>というように、火山性ガスが草木を生えさせなかったわけです。平安時代まで。で、これが酷い時には地表の水を「酸性化」して腐らしちゃうんです。だから、虫が死ぬ、魚が死ぬ。


これで地表の水が全部腐っちゃって、飲めない、農業ができない。こういう事態に追いやられるっち言うんですよ。で、それが『日本書紀』の斉明紀にちゃんと書いてあるんですね。魚がみんな腐って浮き上がって、それが溜まってしもうて(*不明)が閉ざされて、とにかく水が全部使えなくなったとはっきり書いてあるんですよ、『日本書紀』に。で、その高見大地さんという人はその『日本書紀』には「火山活動」の記録がいっぱい書いてある、『古事記』にも書いてあると。


で、東の奈良県、大和では「火山の被害」がないんです。豊前の土地は豊後の火山が平安時代まで爆発してるから何度もその被害を受けてる。だから、『古事記』『日本書紀』にその「火山の弊害」が書いてあるということはやっぱり福永が言う通り、倭の国は「豊前」にあったということ科学的に証明してくれた。この「飛鳥川」と同じように。じゃあ、水がとにかく使えない、ダメだという時に、これは当時豊前の、香春の人たちが命がけで、自分たちが生き延びるために水路を造ったわけですよ。


で、何で香山の西から、じゃあ取水するかというと、古代人っていうのは僕らみたいに馬鹿じゃなかったんです。その「酸性」の雨水も、あのさっき言いましたように香春岳、「石灰岩」だったでしょ?で、そのすぐ北の「平尾台」もカルスト台地、「石灰岩」だらけなんですよ。で、ここを雨水が通り抜けてくると「中和」されちゃうんです。「酸性」の水が。「硫酸」の水が。


だから、中和されて元の清らかな水。「弱アルカリ性」って名水でしょ?名水になって出てくるんですよ。その水を香山の西から引いて、延々「石組みの地下水路」を通して、しかもそれで密閉してあるから、あちこちで重要な所で水を噴き出させて、そして田畑に水を流せば農業ができるわけです。