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2017年11月3日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [2時間15分~2時間20分]

で、去年から今年にかけて収集した情報によると、あちこちで田んぼ掘りよったら出てくるんですよ。その水路が。先程、ここでは紹介してませんけど「金辺川」って川が流れて、その金辺川の更に下をその地下水路が通ってるっち言うんですよ。それでもう驚きましてね。で、「天香山説」が当たっていれば当然斉明さんのその「狂心の渠」というのも当然香春に流れとって不自然はないんですね。それ、とうとう探し当てたんですよ。とにかく、「石組みの地下水路」があると。


しかも、それが数本あると。最低限4㎞以上はあると。こういう驚く限りの遺物が残ってるんですね、香春の町の中に、地下に。そして、ある時ですね、その北の方でガソリンスタンドつくって、その時にその地下のタンクにガソリン溜めよったら、これがそのいくら入れても減りよると。つまり、どっかに流れていくと。ガソリンが。そうしたら地元の人たちが「ああ、それだったら多分香春の町中にガソリンが流れていく」って地元の人みんな言うたっちいう。


で、その通りに、その地下水路を通ってですね、全部流れていったんですよ、ガソリンが。香春の町中に広がったんです。町民の予言通り。それでまだ地下水路の存在というのがはっきりしましてね。もちろんそれ直したんですけど。でもガソリンだったから、すぐにもう消えて無くなりましたけどね。で、その地下水路があることだけはわかってるんです。「吹き出し」っち言うんです。


で、「謎の地下水路」、いつ、誰が造ったかわからんと言うけども、私はもうそこに入り込んで、もう神武天皇もそうやけど、ずーっと代々倭の国がここにあったと。香春の町にその旧倭の国の都があったと。それで斉明天皇の地下水路が、もしその香春町を流れとる地下水路であるならば、656年まで、斉明天皇まで間違いなくこの香春の「OLDヤマトの国」に天皇の代々がいらっしゃったって、その「大証拠」になるわけなんですよ。


で、その地下水路について、誰もとにかく写真撮ってないっち言うんです。で、誰も実測してないっち言うんですよ。だから、何とかしてくれって私騒いどるんですけどね。だって、これが「本物」だったら、もう動きようないでしょ?奈良県の、あの明日香から出てきた「亀石」なんて、あんなの「狂心の渠」なんかならないですよ。で、「地下水路」でしょ?で、みなさん「暗渠」って言葉ご存じでしょ、ほら?「暗渠」の「渠」という字書くんですから、元々「地下水路」だったんですよ。


しかも、「石組み」。密閉されとるち言うんです。で、見た人によりますと、それは「石組みの地下水路」であって、やっぱぁ大体その一辺の長さが40cmから60cmの間の幅で、それが四面を覆っていて、まぁ正方形で造られているらしいんですね。で、そのまわりを粘土で密閉してあるっち言うんですよ。つまり、外の水が入ってこんわけです。だから、それでそれを調べた桃坂さんていう人は、「これは『排水設備』じゃない」と。「これは『給水設備』だ」って言い切ったんです。


で、これを書いたことによって香春町の郷土史会の重鎮たちですね、お偉方から「お前、何勝手に書きようか」と。確かなこともないのにって。これでまぁ、腹かいて追い出されたって形になったんですけどね。その桃坂さんと私が、これまた偶然に出会っとったんですよ。この仁徳天皇の都を調べるために。天香山の近くにあるはずやっていうことで、その郷土史をよく知ってるという桃坂さんという人紹介して貰ってたんですね、その更に一年前に、一昨年ですけど。


まぁ、この人と偶然再会しまして、「アンタ、地下水路について調べよったんね」っちいうな感じ。それでもう、どんどんどんどん情報集めていく度にもう変な話がついてくるわけですよ。で、それで地下水路あることがわかったということで、更にもう一つ、さっきも言いましたけど、二つ目には、<宮の東の山に石を累ねて垣とす>(*訂正済)という「石垣」の遺構があるっち言うんですよ。


で、これも香春の町にピッタリあるんですよ。しかも、「大坂山」。ちょっと地図で「大坂山」探してください。香春の端に「大坂山」(*省略)「飯岳山」と書いてあって(大坂山)って書いてありますね。(*省略)この北斜面の中腹に、上から見ると長方形になるんですが、長い方が9メートルぐらい。短い方が7メートルぐらい。深さが5.5メートルという、まさしく「石垣」の「呉中平雪穴」というのが今でもあるんですよ。


で、地下水路の方はその桃坂さんが調べた時に、「とにかく文献がないから、まぁ江戸時代に造られたんやかろうか?」って言ったんですけど、えー?4㎞にわたる地下水路、申し訳ないけど香春町が村であった頃の人口で造れる物じゃないです。