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2017年10月25日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [1時間40分~1時間45分]

だから、古田さんが「やまいちこく、やまいちこく」と言って、「やまたいこく」がなかったって言いよったけど、神武さんが建てたのが中国正史に書かれた「やまとこく」だったわけですよ。それで「やまとのくに」は他でもない「豊前の国」にあった。「OLDヤマトの国」。これで邪馬台(やまと)王朝成立でしょ?だから、私は通説よりも大変なこと言ってますよね?西暦121年、邪馬台王朝成立って言ってるんですから。文科省のつくる日本史の教科書よりも「古い」やないですか?


私、国から表彰されても良いですよね?邪馬台王朝、121年成立。しかも神武天皇始められた。戦前の右翼がもう泣いて喜ぶ話ですよね?泣いて喜ぶ話ですよね。でも、中国正史と福岡県神社誌と『日本書紀』の復元とを全部やっていったら、出ちゃったんですよ。だって「倭奴国」滅ぼした、「金印の国」を滅ぼした、神武さんが建てた国こそが中国漢字の表記で「邪馬臺國」、実は発音が「やまとこく」「やまとのくに」。劇的でしょ?こんな簡単な漢字から出るやないですか?


だから、「ヤマト」と読めるじゃなかったんです。「ヤマト」と読んだんです。中国の人があの字をあてて「ヤマト」と読んだんですよ。つまり、倭人が言ってきたことをそのまま言ったんですよ。だから、「倭歌」というのは「倭人」の「倭」という字を書きますよね?で、これは『古今和歌集』の仮名序において、「倭歌」と書かれて「やまとうた」っち言うんですよ。


だから、僕はそれで古田さんに「『倭』という字に『ちくし』の訓がある」、馬鹿を言えと。「『ちくし』にはちゃんと『筑紫』という漢字があるやろうが」っちな感じで。それで「倭」というの、やっぱり「ヤマト」と読むんだと。そうした時に、だから、我々は今まで「九州王朝、九州王朝」言いよりましたけど、要するに「OLDヤマト王朝」が福岡県にあったわけですよ、九州。良かったんです、それで。これだけのことだったんですよ。ヤマト王朝は「神武」が始められたんです。


橿原宮もあったんです、香春に。あるんです。多分、鶴岡八幡宮掘ればいいんですけど、掘れないですよね、普通は。でも、「おほきんさん」の墓あります。「未盗掘」です。で、地元の箕野さんというお百姓さんが、(*省略)ある時先祖の墓やないか?と思って掘ったっち言うんです。これだけが唯一掘った記録です。掘ったら岩戸が出てきたっち言う。そういう立派なお墓だったから、あぁ、こらぁもう自分の先祖の墓やないと思って、慌てて埋め戻したっちいう。


その時のお話の面白かったのが、その掘った時に足元に「ビー玉」があったっち言うんですよ。何そのビー玉って()。「ガラス玉」ですよ。弥生時代のガラス玉。まぁ、それくらい拾っといて欲しかったなぁって思うわけでありますね、はい。じゃあ、ここで一応神武さんがですね、筑豊を東征したということで、とりあえず今言ったように、筑豊の神社伝承と、それから『日本書紀』の復元と、それから中国正史と全部重ねて合わせた時に、実にこんな単純な結果が生まれたということ。ここでひとまず休みにしましょう、はい。


<休憩>




はい、それでは前半で一応神武東征の史実ということで、『日本書紀』を再現し、その中からですね、特に『鞍手郡誌』に残されていた「射手引神社社伝」、それを投入したことによってですね、今まで本当に「架空」と思われてきた神武天皇が実に生き生きとですね、中国正史とも絡めて、全て「実在」の人物として甦ったというのが、一応私の感触なんですね。


それで、『日本書紀』のカラクリについてもっと触れて、それから更に細々したところ、あるいは神武天皇その後などについて色々、どうも福岡県に残る地名ですね、そういったものとちょっと兼ね合わせながら、お話をまた別、少し違う観点から述べていきたいと思います。で、今スライドに映してありますようにね、(*省略)『日本書紀』の中にですね、一応省かれたものがここにあったんですね。