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2017年10月19日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [1時間20分~1時間25分]

(*省略)で、この撃皷神社の所でですね、実はその神功皇后の伝承も重なってるお宮さんがあるわけですね。で、そこの所からですね、最後の決戦に臨んだと『鞍手郡誌』に採られた「射手引神社社伝」は言うわけでありますね。それで<天皇進軍を命じ給ふた故地>がその撃皷神社です。だから、陣太鼓を鳴らしたらしいんですよ。それから今度は「白旗山」に行きます。で、ここで再び<天祖を祭られて神託を得られた靈跡>だと書いてありますね。


そして最後に、ここに『鞍手郡誌』は書いてないんですが、神武天皇紀を読みますと、鳥見の長髄彦を滅ぼして、そして今度はですね、「笠置山」の方向に戻っていかれるわけなんですね。で、「笠置山」はもうご存知、前から言いますようにニギハヤヒが降臨した場所ですね。で、ここで再び<天祖の靈を祭り給ふ>て、そしてまた嘉穂郡二瀬村、今の飯塚の「伊岐須」(いぎす)という所を通りまして、そして「神武山」「神武邑」を越えて、で、一番大事なことですが、この後ですね。


はい、それから更に「曩祖(のうそ)の杜」、飯塚市にある「曩祖八幡」。「潤野」「姿見」「日の原」「高田」、大分村(だいぶむら)ですね。それから、「大分」「山口」「牛頸」。それから「寶滿山」(ほうまんざん)ということで、一番大事なことは、神武さんは鳥見の長髄彦を滅ぼした後、筑紫の宝満山に「凱旋」するんですよ。今日はこれを覚えといてください。土地の伝承では神武さんは鳥見の長髄彦を倒した後にです、宝満山に「凱旋」するんです。これがすごいとこなんです。(*省略)


宝満山に「凱旋」です。ここにほら、『射手引神社社伝』に「竈門山」(かまどやま)って書いてあります。別名・竈門山。(*省略)宝満山に戻ってですね、それで東征が無事完了したことをご報告なさったとあるんですね。で、この社伝のもっと面白いのが、更に筑紫の中に戻りまして「蚊田の里」に行ったっち言うんですね。これが今の「宇美八幡宮」です。で、宇美八幡宮の所まで行きまして、<荒木の女志津姫皇子蚊田皇子を生み奉った地>という文句がありましてね。


で、後の時代に神功さんがここで応神さんをお産みになったんです。だから、「うみ(産み)はちまん」っち言うんです。ところが、これが『日本書紀』にはないんですけど、神武天皇の蚊田皇子がお生まれになった土地なんです。それを神功さんはご存じで、神功さんもまたその土地で応神をお産みになったっち言うんです。だからこれ、倭国の大事な場所だったらしいです。「宇美八幡」。かつて、神武さんが、神武さんの奥さんが蚊田皇子をお産みになった場所。


そこで後の神功さんも、ここで応神を出産された。宇美八幡ってそういう場所なんです。もうビックリしましてね。だから、福岡県の神社伝承誌っていうのは、神社伝承というのはすごいものがあるんですね。まぁ、こういうものが段々段々見えてきたわけであります。で、その神武さんが最終的に鳥見の長髄彦を滅ぼした「鳥見野」(とみの)という所が、現在の直方市の遠賀川の右岸になりますかね、東側になりますけど、そこに「頓野」(とんの)という場所があります。(*省略)直方市の頓野。(*省略)