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2017年10月12日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [1時間5分~1時間15分]

で、そこで古川さんが用意してくれた地図になりますね。飯塚の辺りにですね、「足白」という地名見つからんですかね?(*省略)馬見山がありますね?はい、神武さんまずここに、彦山川水系からここに行きます。で、ここからまた下って今度は遠賀川水系を北上していくわけですね。そして嘉穂町の所に「馬見」という所がありますね。馬見山を下りた所に「馬見」があります。


この馬見から更に嘉穂町の辺りを過ぎて行ってですね、それで飯塚市に入る辺りにですね、「足白」という地名が見つかるとしめたもんなんですがね。(*省略)「馬見神社」ですね、ここから下っていって飯塚方面に行って、「足白」。(*省略)実は飯塚に至る間に「足白」があります。この辺りの、だから、神社の所にですね、色んな意味でこの神武の東征に関する地名が多々出てまいります。(*省略)はい、ここに神武さんは下りてきます。


さぁ、それからですね、神武さんはこれからいよいよですね、鳥見(登美)の長髄彦との最終決戦に臨むためにですね、香山を落とした後にですね、ずっとこの遠賀川を上っていくことになります。さぁ、それではその『射手引神社社伝』というところで、ちょっと字細かいですけども、追っかけていって頂きたいんですがね。まず一番最初にですね、ここに「帝王越」ということで「帝王山」というのが、やっぱり地図の中に出てきますかね?「帝王山」。(*省略)はい、ここがその第一番目「帝王山」です。


それから次に「小野谷」に入ります。「小野谷」。(*省略)馬見神社のすぐ上ですね。高木神社のすぐ横に「小野谷」があります。「帝王山」越えて、ここへ入ったっち言うんですね。これが『鞍手郡誌』の神武東征のルートです。で、次ですね。今度は「神武山」に入るんですが、<今は單に神山といふ>って言うんですけど(*省略)。はい、それから今度は「馬見山」。これはわかりますね、馬見山、さっきの所です。この馬見山のある所の地名が実は「足白」っち言うんですよ。


だから、本当はこの近くに書いてなきゃいけないんですがね。(*省略)それから今度は「天降八所神社」(あもりはっしょじんじゃ)で、「頴田村」(かいたむら)という所行きます。(*省略)「頴田町」、「鹿毛馬神籠石」の近くですね。(*省略)金田町の隣、飯塚市のちょうど東北の方ですね。鹿毛馬神籠石の辺り、ここが「頴田」ですね、はい。ここに神武さんは行きますね、「天降八所神社」。それから、「鳥居」という所に行きます。


で、ここで「伊邪和(いざわ)」、「伊名和(いなわ)」と鳴いて神武を案内したと言うんですが、この「鳥居」という場所の鳥が実は「カラス」、「八咫烏」のことだっち言うんですね。それからあの有名な「烏尾峠」に行きます。(*省略)ありますね、「烏尾峠」ね。糸田町の左の所、烏尾峠。こういう変わったルート行きますね。行ったり来たりですね。(*省略)それから次にですね、今度は「杉魂明神」というのが同じく頴田町の中にあります。


で、この「杉魂明神」の所で実はその神武天皇がですね、何か毒ガスか何かに当たったような感じに意識が朦朧となってしまうんですね。それを治し奉ったところで、祭神は天皇と駒主命と例の椎根津彦ですね、これが祀ってある明神さんがあるわけです。それから次に「佐與」(さよ)という所に行きますね。(*省略)嚴島神社、鹿毛馬の、烏尾峠のすぐ左上です。「佐與」がありますね。(*省略)ここに神武が寄ったと言うんですね。


で、土地の伝承でですね、『射手引神社社伝』ではとにかく臣下がですね、何かこの計略を授けて、それがどうも良かったらしくて、<佐與計牟>(さよけむ)って言ったっち言うんですね、神武天皇が。それでここが「佐與」と付いたっち言うんです。それから今そこの佐與から今度は「嚴島神社」(いつくしまじんじゃ)、そこすぐありますね。で、この「嚴島神社」で神武が<宗像三女神を祭り給ふ>というのが『射手引神社社伝』にあります。それからあの有名な「鹿毛馬」に行きます。


だから、この「鹿毛馬神籠石」って僕らよく言っとりますけど、この「鹿毛馬」というのがですね、『日本書紀』には出てこない「駒主命」、つまり馬を飼っている命さんですよね。この人がとにかく神武さんに「足白の馬」を献上したと言うんですけど、この鹿毛馬辺りで飼っていた馬なんでしょうかね。だから、鹿毛馬にあそこに「牧野神社」っていう神社さんがあるんですよ。


あの神籠石の上の所に。だからやっぱり、この神籠石の所でその駒主命というのが、だからこれ2世紀の話ですよ。あそこで実際に馬を飼っていた。で、その馬を神武天皇に差し上げたと。まぁ、こういうわけなんですね。だから、僕はそれで「鹿毛馬」って言うのはだから「駆ける馬」の「かけんま」かな?と思ったんですけどね、はい。それから今度は飯塚市の今、幸袋町(こうぶくろまち)にあります「目尾山」に行きます。「目」の「尾」と書いて「しゃかのお」です。(*省略)