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2017年9月29日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [55分~1時間]

もう、これだけでもみなさん、日本史の「常識」崩れちゃったでしょ?「平安時代」の書物ですよ?『王年代紀』って。でも、日本にはないんですよ、『王年代紀』。中国だけに渡って、で、中国の正史が『新唐書』の日本伝、そして『宋史』日本伝の中に「15代神功天皇」ってはっきり書いてある。で、元に戻りますと、その福岡県においては、求菩提山においては、「27代継体天皇」の時に、この八天狗、烏天狗さんたちが今度は新しい王朝の前では「敵」になっちゃうわけですね。


「賊」になっちゃうわけですね。だからそこに、<継體天皇の御宇、此の縣の國民、威奴岳(いぬだけ)の強暴なる鬼の悪(しわざ)を懼れて~>とありまして、結局継体天皇の時にですね、「鬼」として退治されちゃうんです。で、ここで初めて私は民俗学の世界にハッと気付きまして。この求菩提山にいたのが実は「天狗」です。天狗です。「天狗」の「狗」という字、訓読み何ですか?「天狗」の「狗」?「狗」。これ、現代中国語でもそうなんですが、これ実は「いぬ」なんです。


じゃあ、「天狗」というのは訓読みすると「あまのいぬ」なんです。じゃあ、「あまのいぬ」ちゃ何ですか?って言ったら、あの金印の「漢委奴国」の「委奴」です。そして今ですね、英彦山のちょっとすぐ隣になりますけどね、見てください。その隣のページの一番東南の角。「犬ヶ岳」です。犬ヶ岳です。ここで、その烏天狗の成れの果て「威奴岳/犬ヶ岳」の鬼が退治されたんです、継体の御代に。


じゃあ、この字で書いてある限りにおいて「漢の委奴」、「威奴の邪神」、「犬ヶ岳」。「いぬ」って読むべきなんでしょう?ほら、「漢の委の奴の国王」、あれは福岡県の神社伝承誌何も知らん中央のバカタレの学者が言いよるとですわ。「いぬこく」なんですよ、あれやっぱり。私、これで確信持ったんですよ。で、神武さんは「倭奴国」を滅ぼしたんです。倭奴国を滅ぼしたんです。中国の正史と合うわけです。これがですね、こんなのがですね、もう私のカメラの中に納まってたんですよね。


持って帰ってから一年ぶりに気付いたんですけどね()。恥ずかしい話ですが。さぁ、出ました。それが「狭野嶽」。で、神武さんが来たから求菩提山はその「狭野嶽」の後には「人皇嶽」っち言うんです。人皇嶽っち言うんです。「人」の「天皇」の「皇」と書いて「にんのうだけ」っち言うんです。福岡県の現地伝承ってすごいものがあるでしょ?じゃあやっぱり、神武さんが東征した所、ここやないですか。宇佐に回ったって本物やないですか。嘘じゃないでしょう、はい。


そういったことが見えてきたんですよね。それで後は神武さんは、このですね、八咫烏の道案内を受けて、そして彦山川をどんどんどんどん下りましてね、先程の金が採れて、銅が取れて、鉄が採れるという、つまり国力の源である「香春岳」を奪取するんですよ。だから、これが奈良県のあのへちゃむくれの天の香具山じゃダメなんですよ!こっちの「国の源」たる、「金属が採れる」山を取らなきゃ意味がなかったんですよ。そこで戦うんです。


で、もう既に筑紫・宝満山の所で軍隊編成し直してるわけですから、この倭奴国の主力部隊と同等戦えるわけですよ。で、みなさんいいですか?今までの通説の中で一番不審は、あの大阪で難波の所で敗れたという通説、みなさんご存じでしょ?で、あそこで軍隊敗れるわけですから。で、みなさんたちがご存知、記紀の書き方からいったら、神武は吉備国さえ戻らないわけですよ。


戻らなかったから、軍隊を補充すること出来ませんよね?それが結局、和歌山県を越えて熊野に上陸して、そっからまた今度は北を目指すわけですね。全然、西に行かんやないですか?北に行くんですよ、あれ、熊野から。奈良県は。あっちの大和は。それがどうして後半、あの大部隊と戦うこと出来るんですか?