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2017年9月15日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [20分~25分]

<~皇祖皇考(みおや)、乃神乃聖(かみひじり)にして、慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ねて、多(さは)に年所(とし)を歴()たり。天祖の降跡(あまくだ)りしより以逮(このかた)、今一百七十九萬二千四百七十餘歳。~>これはもうデタラメと言えばデタラメですね。<~而るに遼邈(とほくはるか)なる地は、猶ほ未だ王澤に霑(うるほ)はず、遂に邑に君有り、村に長有り、各自(おのおの)(さかひ)を分かち、用て相凌ぎ躒(きしろ)はしむ。抑又(はたまた)、鹽土老翁(しほつちのをぢ)に聞くに曰く、『東に美地(うましくに)有り。靑き山四(よもに)(めぐ)り、其の中に天磐船に乘りて飛び降る者有り。』余謂(おも)ふに、彼の地は必ず以ちて大いなる業(わざ)を恢弘(ひらきの)べて、天下に光宅()るに足るべし。蓋し六合(くに)の中心(もなか)か。厥()の飛び降る者は、是饒速日と謂ふか。何ぞ就()きて都なさざざらむ。」諸の皇子對へて曰はく、「理實(ことわり)灼然(いやちこ)なり。我も亦た恆に以ちて念(おもひ)と爲す。宜しく早(すみやか)に行うべし。」是年、太歳甲寅(こういん/きのえとら)>と、こうあるわけでありますね。


この神武即位紀の東征謀議にすべての歴史事実が元々は述べられていたと。まず、<①昔我が天神~>とありますね。で、これは記紀のイデオロギーであって、実際に三十二将・天物部等二十五部族を率いて、「豊葦原瑞穂国」、先程お見せした地図の通り、「古遠賀湾沿岸」、今日の遠賀川流域に降臨、侵入したのは天之忍穂耳命の長男「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」である。


「豊」は通説のように「美称」と解してはならず、これが今までの一元史観と言いますか、通説の学者さんたちがやってきた「最も大いなる嘘」ですね。「豊」は「美称」じゃなかったんです。みなさん、熊本県の方で、福岡県に近いですから、もうあの豊前・豊後・豊国っておわかりですよね?この「豊」の国を指す言葉が「豊」だったんです。それ以外の何物でもなかったんですよ。だから、そこに天降ったわけなんですね。「豊国」を示す「実字」だと。


これらは拙論「『天満倭』考」という中で書きました。そして『先代旧事本紀』天神本紀、それから『古事記』天孫降臨と現地伝承とから、「豊葦原瑞穂国」を復元したわけですね。「遠賀湾沿岸」でした。で、ニギハヤヒノミコトの「天神降臨」です。だから、『古事記』『日本書紀』は「弟」の「天孫降臨」が書いてあるんです。このお兄ちゃんがどっかでホカされてしまうわけです。で、そのニギハヤヒというのは実は「アマテラス」でもあり、「天火明」(あまのほあかり)でもあるんですよ。


歴史に詳しい方は、多分「天火明」ってどっかで聞いた、「アマテラス」っていうのはもっとどっかで聞いたわけですよね。で、「女帝」じゃなかった。「男神」だったんです。「男神」さんだった。それで私は九州古代史の会ともよく話しするんですが、もう本当によく怒られるんですね。で、アマテラスで有名なお話が「天の石屋戸伝承」でしょ?それで、そのアマテラスが天の石屋戸にお隠れになったから、世の中暗くなってしまったと。


それで、人々が困ったからって神々は天鈿女命(あめのうずめのみこと)にストリップをやらせて、それでアマテラスが興味を持ってちょっと開けたところを、手力男命がググーっと開けて、世の中また明るくなりましたというお話ですね。でも、そんなに力いるんですか?だってアマテラスさん、女性でしょ?で、彼女勝手に自分で入ったでしょ、カラって。何でそれで手力男命が外から加わって開けないといけないのか?と。そういう疑問を持つわけですね。


私は全く頭の悪い男でして、非常に下俗ですから、俗ですから、「やぁ、そらぁ、女の人の裸見たいのは男神さんやろ?」と。「何で女神さんが見るんや?」と。で、ここの天神さん、ニギヒヤヒ思い出したんです。この「天の石屋戸伝承」のアマテラスっていうのは、ニギハヤヒ、やっぱり「男神」さんだよと。まぁ、こういうことを考えたわけなんですね。


それで結局スサノヲに対しましてね、この手力男命がやったのは実は「天の石屋戸」を開ける作業じゃなかったんですよ。スサノヲさんの身体の上に、千座置戸(ちくらいわと)を置くという仕事だった。つまり、スサノヲさんの身体の上に、スレート状の石を積み重ねて、圧殺したんです。だから、このニギハヤヒ、アマテラスはスサノヲノミコトを殺すんです。