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2017年9月13日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [10分~15分]

滋賀県の琵琶湖、どうやってクジラ捕ってきて、運んでくるんですか?あれはだから、こっちの地名が向こうに移っていったわけですね。何世紀か、わかりませんけど。そうしますと先程の天香山、香春三ノ岳からはですね、この前登ってきたんです。どうも古代のこの遠賀湾、淡海の海がすぐ近くまで来てたらしくて、「見える」らしいですね。カモメも見えるんです。ということで、歌が全部当てはまってくるわけなんですよね。これが今の香春の遺跡図ですね。


ここに香春一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳があります。で、前ちょっと戻しましてね、今度はあの神代の巻になりますけど、イザナギノミコトがイザナミノミコトを失いますね。火之迦具土命を生んだがために。その時に、イザナギノミコトが流した涙から生まれた神の名前がですね、「()香山の畝尾の~」、「尾」、「尾」っぽです。「畝」の「尾」っぽです。「~畝尾の木本に坐す哭澤女神」って言うんですね。神話に強い方はすぐおわかりになると思いますが、『古事記』に書いてあります。


その「畝」の「尾」っぽという字に、ちょっと想像してください。「畝」の「尾」っぽ、という字を読み替えると、「うねび」になるわけ。これが天香山であった時に、天香山の「畝尾山」と言う風になるわけです。これが私が見つけ出した「香山」、「耳梨山」あるいは「耳成山」、「畝傍山(畝尾山)」です。で、今日のお話に入っていきますけども、神武天皇紀の大半はこの「金」や「鉄」や「銅」が採れた「天香山」を奪取するお話なんです。神武天皇紀、読まれましたでしょ?


神武天皇紀ではひたすら、「天香山」目指して侵攻するんです。それが神武東征の「本質」です。大部分占めますね、『日本書紀』の中では。で、そういったことを色々考え抜いていったわけなんですね。ですからこの地図、みなさんの手元の2ページあたりに多分あると思うんですが、この福岡県の概略図をよーく覚えておいてください。これが今日のお話の要です。


で、その倭歌、『万葉集』や『古事記』『日本書紀』の歌謡からですね、「天香山」とか「畝傍山」とかいうのを、現在の言わば新しいヤマト、「NEWヤマト」の土地から切り離して、私は「OLDヤマト」の土地を、この豊国に比定したわけです。その豊国の中に天香山を見出した時に、ああ、じゃあこれだ、神武天皇紀も『日本書紀』に書いてある、あるいは『古事記』に書いてある神武天皇の東征というのは、「東の大和」を取った話ではなくて、この「九州・豊国の倭」をこっちの方から出てきましてね、そこでこれを制圧した古代の事件であると。


まぁ、こういう風な大まかな仮説に立って、それじゃあ『日本書紀』をもう一回読み直したら、神武天皇はいつの時代、どこから出発して、どこの国を東征したのか?と言った時に、題名にあるように「筑豊」を東征したという結論に至ったわけなんですね。これが今日のお話の概論です。はい、そういったことをまずご確認ください。


これも後で出てきます、みなさんの写真の中にも入っておりますが、その最終的にですね、神武は「豊国」を制圧しまして、東征しまして、そして先程香春岳がありましたが、あの畝傍山の「東南」に例の「橿原宮」を建てて、そこで即位されたと『古事記』『日本書紀』には書いてあるわけです。ですよね?(*省略)この現在の香春一ノ岳の、畝傍山の東南の所に「高野」という字名がありまして、そこに鎌倉の鶴岡八幡宮よりも50年早くに造られた「鶴岡八幡宮」というお宮さんがあります。