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2017年9月12日

#006 「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 [5分~10分]

で、これ自体が150メートルって。東西に生駒山地、鈴鹿山脈。「海」が絶対に肉眼じゃ見えないんです。「どこにカモメが飛んどるとですか?」っつな感じ。こういう「大きな矛盾」がですね、もうこれは江戸の国学の時代から言われとったわけですが、誰一人これ解き明かした人いなかったんです。で、天皇陛下は現人神でいらっしゃるから、もうそれは眼力、心眼で海原をご覧になったのであるとかですね。で、この天香山の下に埴安池と小さな池があるから、その埴安池を海原に見立て給うたのであるとか。




まぁ、こんな解説がもう昭和の時代にはちゃんとあったんですね。無茶苦茶な話でした、はい。さぁ、それに対して、じゃあ本当に「銅」が採れて、「金」が採れて、「鉄」が採れて、尚且つ「海原」が見える山はどこか?と言ったら、これしかなかった。福岡県田川郡香春町にあります「香春岳」。で、この 香春岳の奥、あっちの方が三ノ岳になりますが、どうもあれが「天香山」らしいんです。で、これは正直言いまして、全山「石灰岩」で出来てる。


で、面白いことに神代の昔から、「天之忍穂耳命」(*表記多数有り)あるいは「天之忍骨命」(*)が英彦山の方から、この香春岳までやって来るんですね。で、この神さんがここへ入った時に、土地の神が嫌がらせをしたと。それで天之忍骨命は腹かいてですね、で、その、この草木を全部引っこ抜いて、英彦山に戻ってしもうたと。こんな伝承が残っております。そして平安時代になりまして、あの唐に渡った「最澄」というお坊様が、ここの香春の土地に戻ってきて、中国・唐から。それでここで神仏にお祈りをした時に、初めて草木が生え始めた。


つまり、数百年の間、これは「石灰岩」の山で草木が生えていなかったから、実は「真っ白」の山なんです。これ、みんな500メートル級なんです。そうしますと、<春過ぎて夏来たるらし~>、日本全国は「緑」豊かな国ですから、夏4月はもう「全緑」「万緑」の季節ですね。その中で、この500メートル級の連山が「真っ白」に照り輝くわけです。そうしますと「白妙の衣」と言うのは「人間」の衣じゃありません。「神」です。




「造化の神」がその神の白妙の衣を乾してあるかのように、全山「真っ白」に輝いているよという歌だったんです。これだったら、「雄大」でしょう?そして、「万緑」と「白」との対照ですね。これだったら、やっと天香山の「雄大さ」が見えてくるわけであります。これが現在の香春岳です。草木が生えております。日本セメントという会社が昭和10年から掘り続けて今や一ノ岳はもう100メートルもないかの如くなっとりますね…こういう山です。




で、これがその無残な一ノ岳ですが、真ん中掘られてる所見ればわかりますでしょう?この色がかつての香春岳の全山の色です。周りが「緑」、お山自体は三連山が「真っ白」だったわけですよね。これがあの歌の元々の意味であろうということで、『万葉集』を蘇えしたわけですね。それから『万葉集』2番歌におきまして、もっと大事なことは<~海原は鷗立ち立つ~>でありますよね?その時にこの福智山の近く、この辺りが香春岳ですが、500メートルの山に登りますと、実はこれが福岡県のこれは弥生時代の頃の福岡県の地勢図だと思われます。




で、これはGoogleFloodMapsという地図をですね、使いまして、それを7メートル、海をこう、陸を沈めると言いますかね、あるいは海水を上げると言いますかね、そうしますとこんな地形が浮かび上がるわけですね。で、弥生時代に「海進」という現象があった時に、多分福岡県は大体こういう形をしていたんだろうと思われますね。従いまして、「志賀島」が本当に志賀「島」です。「怡土・志摩(糸島)」の「志摩()」です。それから宗像大社の所もここに大きな入り江がありましてね。


まぁ、これは私、『魏志倭人伝』の「末盧国」に比定しとるわけでありますが。ここに一番大事な「古遠賀湾」という「近つ淡海」という「おうみ」があります。「あはうみ」があります。で、『万葉集』の153番歌(訂正済)には、外海でクジラを捕って、そのクジラをこの淡海の所まで引っ張ってきたという万葉の歌が残っとりますね。ここでもう既に滋賀県の「琵琶湖」はダメなんです。あれは「淡海」じゃないんです。