どうも、お暑い中、ようこそ。ありがとうございます。えーっと、今のパワーポイントで画面に映し出してるのが、この間の6月24日、母校の國學院大學の東京都立高校で先生をしていらっしゃる方々の前で講演した時の、昨日久留米でもお話ししました「真実の仁徳天皇」ということで、まぁ簡単に言いますと、実はその「菟道稚郎子」とですね、それから「大鷦鷯尊」とが皇位を譲り合ったというお話から始まるんですね。
ところが実は、菟道稚郎子さんが実は「宇治天皇」として3年間、実は即位されていたと。で、大鷦鷯天皇というのが、この腹違いの弟にあたる「宇治天皇」さんをとにかく死に追いやって、その後に皇位を奪い取った帝ではないか?ということをこの国で初めて発表したわけであります。そのわずか3年の間、在位した宇治天皇さんがですね、あの有名な民のかまどから煙が上がっていないということで、3年税を取られなかったという、あの「聖帝伝説」、聖の帝と呼ばれた帝さんであっただろうと。
で、こちらの方がみなさんが思い込まされてきた「大鷦鷯天皇」が「仁徳天皇」ではなくて、実はどうもわずか3年しか在位しなかった「宇治天皇」さんの方が本物の「真実の仁徳天皇」さんであろうと。まぁこういうことを、昨日久留米でもお話ししました。そこ、スライドの中に出てきますのが今日の「神武は筑豊に東征した」とも深く関わりますので、これは神武が東征して、「邪馬台国」「倭国」(やまとのくに)を建てた後の、これは古墳時代の天皇さんですね。
今日は初代天皇さんのお話になりますが、これに関連する資料がいっぱいありますので、それに少し目を通してください。まず、これがあの「通説の天の香具山」です。で、『万葉集』の中にございまして、特に『百人一首』の2番、持統天皇の歌の中に有名な歌ですね。<春過ぎて夏来たるらし白妙の
衣乾したり天の香具山>。
で、私は「倭歌が解き明かす古代史」というシリーズをやっておりますけども、その「天香山」というのは、『日本書紀』や『古事記』を読みますと、「金」が採れた、「黄金」(こがね)が採れた、「銅」が採れた、「赤銅」(あかがね)が採れた、「真金」(まがね)が採れた、「鉄」が採れた、というお山であります。特にその「銅」がたくさん採れて、その銅から「銅鏡」、「白銅鏡」(まそかがみ)を作ったというのが神代の巻にたくさん出てきます。
ところが、この「通説の天の香具山」というのは「何も採れん」のです。金属は一種類も…だから、これは多分「偽物」だろうと。どんなに良くても「コピー」だろうと。じゃあ、本当に「銅が採れる天香山」はどこにあるのか?ということを真面目に追求したのが、日本でただ私一人だけだったみたいなんですね。で、その<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>というのを高校生諸君に教えてますとですね、最後にその解説をして、この写真を見せると、途端に生徒が「先生、何でこんな歌が名歌なんだ?」と。
「この山に白妙の衣が干してあって、どこが感動的なんだ?」と。「どこが優れた歌なんだ?」と。「それから先生、さっき『万葉集』っていうのは雄大な景色を詠った歌集やって言ったやないか?」と。「どこが雄大ね?」と。これ、たかが海抜150メートルもないですね。へちゃむくれで山とも思えないですよね。で、どこが名歌で、どこが雄大だ?と。まぁ、こう聞かれて、もう返答に窮しましてね。もう、これは三十数年前の青年教師の頃の思い出です。
で、その謎が、生徒の質問が、ずーっと頭に残っておりまして、こらぁ何とかせないかんと。どの解説読んでもわからんと。そして更に『万葉集』の2番に、まぁ普通「舒明望國歌」と言われましてね、<倭には群山有れど取り鎧ふ天の香具山登り立ち國見を爲れば國原は煙立ち立つ海原は鷗立ち立つうまし國そ蜻蛉嶋倭の國は>という有名な歌があるんですね。その「天香山」に登って望国(くにみ)をなさった天皇さんが、「海原にカモメが盛んに飛び立っている」って詠うわけです。奈良県の天の香具山、「海が見えない」んです。