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2017年8月21日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [2時間45分~2時間50分]

ところが後にその子供が「天羽衣」の隠し場所教えて、それを着た天羽衣は子供のことも夫のことも忘れて、天に昇って帰ってしまうという。もっとすごいこと、わかってきました。『万葉集』にその「天羽衣伝説」の歌があります。場所がやっぱりここです。ここです。で、その残された天女は柘(つみ)の木に姿を変えます。それを味稲(うましね)という樵に拾われて、しょうがないから元の天女の姿に戻って、それで一緒になっちゃうって話がありますね。その化けた、変身したのが「柘」の木です。「つみ」の木です。


ここまで来たら、勘の良い人わかるでしょう?「かぐや姫」の伝承も、これが原型です。彼女も月の世界で罪を得て地上に降ろされたんでしょ?それでまた天羽衣を着たら、竹取翁とお婆さんのこと忘れて天上へと帰っていくわけですよね、月世界にね。だから、当然「かぐや姫」の原型も、もとはこの倭国が九州にあった頃の発祥のお話だということになっちゃいます。だから、「天羽衣」も「かぐや姫」の『竹取物語』の伝承も、本を正せばみんなこっちです。


だから、漢詩集『懐風藻』、それから勅撰和歌集『万葉集』、これはだからものすごい歴史の真実を秘めてるんですね。これが今私のやってることでしてね、原稿が追い付かないんですよ。検証するのが大変で。一つ一つ口語訳書いてますからね。それでもう、これで「天羽衣伝承」、実を言いますと日本古典文学大系の中に入っている『懐風藻』の解釈があまりにもおかしいんですよ。だから、それをまた一つ訂正しないといけないんですね。


その訂正するという過程が、ものすごく難しいんですね。何せ、もとは権威の先生が言ってることですから。その一介の都立高校の教員がまたひっくり返すわけですよ。ひっくり返すのは相当努力が要るんです。だから三保の松原の「天羽衣伝説」も、あれは後世の変形した形。海の水ダメ、「ベタベタ」です。家の女房によれば。だから、ここの清らかな水でこそ初めて成り立つんですね。


だから、あれ気になりますね。嫌な名前付いてますね、「魔林峡」。何で悪魔の「魔」という字が付いてるんでしょうね?あそこね。で、こっちが「念仏橋」でしょ?何かあんまり良くないですね。これね。名前がね。しかし、これが本当に吉野の離宮だっていう可能性高くなってきましたね。で、先程からお話ししていますように、これで神武から天武までが繋がった、ということはですよ、ということはですよ、天智の近江宮も「古遠賀湾」、私は磐瀬の行宮、先程地図にありましたけどね。


あそこが多分、「近江京」だと思います、天智の。で、あそこを逃れて大海人皇子は急行2日半の歩きで、ここ吉野宮に入りますけども、みなさん健脚の方がいたら、ちょっと実践してください。あの「岩瀬」(中間市)からここの「吉野」歩いて2日半で来れるかどうか()。でも多分、来たんだと思います。だから、時間的にもピッタリ、距離的にもピッタリですね。で、これ先程言いましたように、これ山の中でしょう?大軍隊はすぐには攻めてこれないんですよ。


だから、「要害の地」なんです、これ。だから、古人大兄っていうのは余程油断してたんでしょうね。もうここに隠居しちゃったから攻められることはないと思ってたんでしょう。でも刺客がやって来たら、簡単に殺されちゃったんですよね。でも、大海人は完全に構えましたもんね。構えたら中々やっぱり、突き崩せない場所なんですよ。だから、壬申の乱に勝利した大海人がここへやって来て、皇子と皇后と一緒に不戦の誓いを立てた。そこにふさわしい場所ですね。


だから、私はその記事を読み起こしながら、思い返しながら、ここさっきの吉野宮の、この写真の場所に立って、あぁ、ここで、この辺りのどっかで、ね?皇子と鸕野讚良と従えて、「もうね、これから先、骨肉同士の争いはやめようね」って話をした、あそこでされたんでしょうね。それを思った時には感慨深かったですね。「あ、今立ってるここでやったんだ…」と。うん、やっぱり歴史は生きてるんですよ。だから今、私の最大の目標は壬申の乱を解くことなんです。


あの壬申の乱の中には、近畿で起きた事件と、こっちの九州で起きた事件とごっちゃに書いてあるんですよ。だから、分別さえ上手くいったら、こっちの九州で起きた壬申の乱の本家本元の争いっていうの見えてくるんです。一番大事な天智と天武の争い見えてくるんですね。で、これは今ここの古川さんとも話し合っとるんですがね。この前こちらの会の、綾杉るなさんでしたっけ?が出してある『神功皇后伝承を歩く』という中に「織幡神社」が出てきましてね、玄界灘に面してますけど。