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2017年8月10日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [2時間15分~2時間20分]

①番、まず<①毒水の流入による河川や池の大量の魚類などの水中生物の死>これが斉明が重祚する前の皇極天皇28月の記事です。もう魚が全部死んで浮かび上がって、それが数十㎝も層を成して、それで水路が詰まってしまったという記録がありますね。だから、これは火山ガスによってやられるわけですね。それから、<②青い笠を被った唐人の乗った龍と表現される噴煙>これが斉明天皇元年、だからこの「狂心の渠」が造られる1年前の5月の記事で載っかってますね。


これは多分、「亜硫酸ガス」が飛んできたんだろうというのが彼女の仮説ですね。それからこれは斉明天皇元年10月、<③小墾田の宮殿建造に使用する森林の木々が火山ガスや酸性雨で朽ち爛れたため、建造中止>に追い込まれますね。火山性ガスが木を腐らせるんです。だから、宮殿を建てることが出来なかった。こういう記事が、ほら、斉明天皇の「前」にあるわけです。もう④のあの天武天皇の所はちょっと外しましょ。さぁ、大変なことです。地表の水が全部腐っちゃいました。木も腐っちゃいました。


飲み水、どうします?農業用水、どうします?米、どうやって育てます?だから、そのために、彼女がやらなきゃいけなかったことは、やはり「狂心の渠」。これは国家事業として急遽、天皇自身もそうですけども、民も一緒に生きていくためには、どうしても造らなきゃいけない施設だったはずなんですね。これがその彼女が作り上げてくれた地図ですね。ほら、あの豊後の火山のガスがこう飛んでくるわけですね。あそこに「岡本宮」、これは私と彼女との共同作業ですがね。


「朝倉宮」もご存知ですよね?ここですよね、斉明天皇。その斉明天皇の「飛鳥浄御原」もここにあるというのが、これは私の仮説ですが、「岡本宮」、赤村にあります。元のあれは何でしたっけ?(*省略)「我鹿八幡」(あかはちまん)、我鹿八幡のあった場所ですね。あそこが宮の跡じゃないかということが、一応私たちでわかっています。それからこれが後で関係してくる「大坂山」、「香春岳」ですね。こういう風に季節によっては夏、ここにこうやって火山ガス飛んでくるわけです。


だから、先程言ったように、香山が「白い」んですよ。草木が生えていなくて。平安時代まで。だから、平安時代まで活動してたという記録とピッタリ一致するわけでしょ?だから、ちょうど最澄さんが祈った頃、祈った頃にあの別府辺りの火山活動がようやく終息するんです。だから、香春岳に草木が生えてきた。これと一致するわけなんですね。だから、仁徳天皇の頃もまだやっぱり噴いてるわけですね。あちこちで。さぁ、これがわかってきました。さぁ、それでは地表の水がダメになりました。


「地表の水」、ダメですよね?だから、それで彼女は急いで、その人民と自分たちの命のために、どうしてもこういう「地下水路」を急遽拵えなくてはいけなかった。しかも、水工のおかげでサイフォン式の密閉された給水設備を造ることに成功したわけでしょ?これで何とか急場を凌ぐことが出来たんですね。だから、あの時期における斉明天皇「狂心の渠」は、あの『日本書紀』による悪評判の騒ぎではなくて、あれは「命をつなぐ命の水」だったんです。


驚いたことに彼らは、その毒水、「酸性」の水があの香山、もうおわかりでしょう?「石灰」を通ってきたら、「中和」されて、弱アルカリの、弱アルカリの名水に生まれ変わるわけですよ。そのことをよく知っていた古代人は、だから香春岳の西に取水口造って、あの「石灰岩」の大地を通して、それで浄水化された、浄化された水を「地下水路」に這わして、そこからサイフォン式で吹き出しで取って、それで灌漑をやったわけですよね。「合理的」ですよね。


地元の伝承、遺物、ここまで「合う」わけですよ。奈良県じゃ、「無理」なんです。さっきの亀石がどこが農業に役立ちます?「命をつなぐ水」になります?あそこを流れる水が。そう、香春岳の「石灰」の大地を流れるからこそ、「酸性」の毒水が変わったんです。そのこと、ちゃんと古代人知ってるんです。だから、我々は古代人馬鹿にしちゃいけないんです。今の時代造れます?これだけの水路。