だから、香山の三ノ岳の西、あの五徳台地という所ばっかり探して、全然意味なかったですね。だから、香山の西は「取水地」なんですね。取水の場所なんですね。あれから、あの地下水路どっちの方向に回したかわからないんですが。わからないっす、これが。これから調査してみないと。ここで水源を取ったとしても、こう回すんですね。だから、国道沿いにこうやって「謎の地下水路」があるって言うわけです。石組みの地下水路。そらそうですよ。だからこれからもう、すぐわかりますけどね。
じゃあ、何のために斉明さんは地下水路造ったのかいな?ということなんでございますね。そうした時にですね、これは神功紀を読む会でリモートセンシングという学問を17年間カナダでやられた、衛星の写真から地上を研究するという学問なんですが、それをやられた高見大地さんが私と一緒にやってくれた物であります。で、これはその現地でその柳井さんが、私がそのすぐその日の内に考えて、すぐ電話で、夜に電話して、「斉明紀に実は『狂心の渠』の記事がある」と。
「その水路について、謎の地下水路について調べた人いないのか?」って聞いたら、柳井さんがこれが意外と博識で「いや、いる」と。「前に確かそれを調べた人がいる」と。それでその郷土史研究会のその研究誌、冊子ですか、「冊子にそのこと書いた人がおる」と。それを探して、私が東京に戻った後に本をちゃんと送るという約束してくれて、それで送ってきてくれた本の一部がこれですね。『宮原盆地―謎の地下水路について』桃坂豊さん。これ、香春の町に一軒しかない床屋さんのご主人です。
だから、すぐ行けばわかります。その桃坂さんが平成8年にもうまとめてたんですね。で、<香春町の北部、採銅所井堀付近から瀬戸、通称六十尺鉄橋といわれる日田彦山線の第二金辺川橋梁近くまで約四キロに及ぶ石作りの地下水路が存在している事を知っている人は地元においても少ない。>って書いてあります。地元の人も一部しか知らないんですね。<この地下水路に関しては①この水路は通称“吹き出し”と呼ばれている。>現代に名前があったんです。「吹き出し」です。
<②数本の水路があるらしいが、代表的なものは宮原の小松氏宅にあり(*省略)、水量温度共に季節には関係なく不変である。>と。つまり、地下を流れてるわけですから温度が変わらない。だから夏冷たく、冬温かい。それから量も一定していると。これはその実際の小松さんというおじいさん、もう相当耳が遠い方なんですが、この方に尋ねたところ、とにかく自分家の田んぼ掘りよったら、そこで地下水路、いわゆる「吹き出し」にぶつかって、そこ壊してしもうて、これサイフォン式になってるみたいで、本当に噴き出すんですね。
水圧が掛かってて。ビューっと噴き出したっち言うんです。それで慌てて塞いだんですけど、水がどんどん漏れてくるので仕方なく自分の庭を通して、それで反対側の水路にいつも流しっぱなしにしているという、もったいない話ですがね。それくらい水量豊かなんです、今でも。噴き出すんです。結局、にわか工事では埋まらなかったんですね。だからもうそれ以来、ずーっと流れっぱなしの水です。庭を流れている所でも、飲めましたね。変わんないくらいに、おいしい水です。
香春の町には「仲哀の水」という名水があるんですがね、あれに優るとも劣らないおいしい水です。コーヒー淹れても美味いんじゃないかというくらい。その水がいつも流れ溢れていますね。これもしかも、場所によっては数本平行に流れているっち言うんです、地下水路。これは時々やっぱり、香春の百姓さんたちが時々田んぼを掘った時に出てくるんですって。その時にみんな、「ああ、これ壊したらまた吹き出すから」ってことで、すぐ埋め戻すんですって。
だから途中で誰かさんが掘った時に、そこに2本並んでいた、3本並んでいたとか言うんですね。で、これもまだ確証取れないんですよ。だから一部の人しか知らないんですがね。で、次の③番です。<③江戸時代に作られたらしいが、~>ってことで、これは地元の憶測です。<~はっきりした築造年代は不明である。>と。
それから<④何の目的で作られたのか全く不明。>だから記録にないっち言うんです、香春の土地にはね。<⑤誰が作ったのか不明。>当然です。<⑥始点、終点共に不明。>どっから始まって、どこに終わるか不明。