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2017年8月4日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [1時間55分~2時間]

実はその、この国道を走ってる、この山を撮影した後です。柳井さんが車の中でいきなり、「この国道の沿いに『謎の石造りの地下水路』がある」。「は?…は?!」っちな感じでもう、私はそれで愕然としましてね。その時、今日は東京から一緒にサイトウさんも一緒だったんですが、サイトウさん何も気付きませんでした()。私だけが、「今、柳井さん、何て言った!?」ってな感じで。本当にね、「謎の石組みの地下水路がありますよ」。もう、これだけの話なんですよ。




何の事かといいますと、これなんですよ。ずっと香山にこだわってきた人間ですから、大事なことは本当これなんですね。そこに書いてありますように2年、これ斉明天皇の2年です。<(斉明)二年(656)(中略)飛鳥の岡本に、更に宮地を定む。(中略)號して後岡本宮と曰ふ。田身嶺(たむのみね)に、冠(こうぶ)らしむるに周れる垣を以てす。復、嶺の上の両つの槻の樹の邊(ほとり)に、観~>まぁ、楼閣ですかね、<~を起つ。號けて両槻宮(ふたつきのみや)とす。又は天宮と曰ふ。>さぁ、次です。


<~時に興事(おこしつくること)を好む。①水工をして渠穿らしむ。香山の西より、~>あそこです。香山の西よりです。だから私正直言ってこれ何の記事かと言いますと、これ「狂心の渠」(きょうしんのみぞ/たぶれごころのみぞ)と呼ばれる斉明天皇2年の有名な一節です。有名な一節です。そこに<~香山の西より、石上山に至る。二百隻を以て、石上山の石を載みて、流の順に控め引く。~>あそこは本当は<控め引き、~>って読ませるみたいですね。<~②(菟道)宮の東の山に石を累ねて垣とす。~>


だから、あそこは本当はね、句読間違ってるんです。<流の順に控め引く。>で一旦切んなきゃいけない。だから、『日本書紀』読み誤りです。で、また<宮の東の山に石を累ねて垣とす。>という。だから水路と渠と、それから垣積。石垣積みの建造物と2つ拵えたっち言うわけです、斉明天皇は。<~時の人の謗りて曰はく、「①狂心の渠。功夫を損し費すこと、三萬餘。~>延べ3万余人が働いて造った水路です。それから<~②垣造る。功夫を費し損すこと、七萬餘。~>


延べ7万人余りが携わった工事の跡があるんですね。<~宮材(みやのき)(ただ)れ、山椒(やまのすえ)埋もれたり」といふ。又、謗りて曰はく、「石の山丘を作る。作る随に自づからに破れなむ」といふ。>という、これが有名な「狂心の渠」の記事です。で、あそこにほら、やはり私のこだわった<香山の西より>ってあるでしょう?だから、私は三ノ岳の「西」ばっかり探しとったんです。「ないなぁ、水路の面影が…」。それで十数年回りながら、その柳井さんの一言ですよ。




実は香山の「東」に地下水路があるっち言うんです、謎の石組みの。もう、面食らいましてね。「はぁ??」って言って、「あれほど探してなかったのに、何で香山の東にあるんだ?」って。だから結局ね、「狂心の渠」の本質がわかんなかったからね、そういう誤りを犯してしまったんですよ。さぁ、通説行きましょう。はい、通説「狂心の渠」()。ただの亀石。どこが「渠」ですか、これ?ねぇ。先程の「渠」の字、わかりました?「暗渠」(あんきょ)の「渠」です。


「暗渠」の「渠」です。だから今でも我々が「暗渠」で使うんですから、「地上からは見えない」水路なんですよ。渠なんですよ。だから、「地表に出てない」渠なんです。だからこそ、柳井さんのその「地下水路」っていう言葉がもう、非常に気に掛かったわけで、しかも「石造り」ってあったでしょ?本当に石を運んできたって書いてありましたでしょ?200隻の船で石を運んできたって。




石上山から。石を運んできた。それから、「暗渠」の「渠」という字が「狂心の渠」には使ってある。じゃあ、柳井さんの一言っていうのはそれ全部言い当ててるでしょ?「謎の石組みの地下水路がある」。「は?石組の地下水路?!」。もう、私はパニックでしたよね。それでもう一回、これ香春の中心の地図ですね。これはもう、あっちこちでやって来てますから、おわかりになると思います。