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2017年8月3日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [1時間50分~1時間55分]

(*省略)今日はダイジェスト版よりも、もうちょっと詳しく入り込んで、『古事記』『日本書紀』『万葉集』「記紀歌謡」そういったものを、ちょっとあちこち縦断しながらですね、後は『風土記』の世界ですね。そこまで全部分析しながら、結局「宇治天皇」という「真実の仁徳天皇」さんを探し当てたわけです。私はもう途中から、ずーっとこの「倭歌」にこだわり抜いて、それから「天香山」にこだわり抜いてきたということは、もう再三再四あちこちで言い続けてきました。


翌年ですね、2013年に、また香春の地に来たんですね。それと言いますのも、「香春三ノ岳」が本当に「天香山」として、遺称地は全く残っていないのか?と。その名前は残されていないのか?ということを、やはり神功紀を読む会でやっていまして、それでまたその香春町の史跡案内図、まぁこれを見てた時にですね、ここにこんなの探しちゃったわけです。これ、福岡県の難訓地名です。難読地名。「頂吉」と書いて、「香具目良し(かぐめよし)」と読ます。もう音感の良い方、わかりますでしょ?




「かぐ」。ほら、香具山の「かぐ」があるんです。で、「香具目良し」ってどういう意味かというと、「香具山を目にするのに良い場所」。「香具山が美しく見える所」。もう、そういう意味だろうということで慌ててまた翌年に、2013年に香春の土地にやって来まして、また郷土史会長の柳井さんの手を煩わしてですね。あろうことか、柳井さんがここのご出身なんです。柳井さんに聞かれまして、「先生、何でまたこんな所来るんですか?」と。


「何の意味があるんですか?」と言われたんで、「いやぁ、これ難訓でしょう?」って。「難読でしょう?」って。「何でこれ『かぐめよし』って言うんですか?」って。それでまぁ、柳井さんがですね、色々回ってくださったんです。そこの起源を訪ね歩いたという元高校の先生とかですね、そういう先生の所を車で回ってくださって、「いやぁ、ここの先生やったら知っとるやろう」っていうような感じで回ってもらったんですが、納得いく説明が一つもなかったんですよ。


私は頭の中で、「あぁ、これは多分、かつて天香山を見るのに一番良い場所だろうなぁ」ということで、それを検討しに行ったんですね。ここの土地に行ったら見えないんですよ、何も。見えないんです。なぜかと言うと、ここに実は「頂吉越」という所があるんですね。この、ここに山になっておりましてね、その「頂吉越」から来たんだろうということはわかりました。かつてあの明治維新になる頃に、小笠原の軍隊が負けて、この「頂吉越」という峠を越えたんだそうです。




その峠の所に「頂吉越」というのがありまして、そこから「頂吉」という地名が付いたんだろうと思います。その時にその「頂吉越」には登ることは出来なかったんですけど、これは国道でその「天香山」、「香春三ノ岳」を北から見た写真です。だからこれ、峠から見たら綺麗に見えますよね?香具山がね。だからやっぱり「香具目良し」なんでしょう。これが北の方から見た香春三ノ岳ですね。




それから前の地図、(*省略)さっきの地図のところに、実はもう一つ先程やった仁徳と関係しましてですね、あの「大鷦鷯」の方、悪い天皇さんの方ですが、彼の陵の名前覚えてらっしゃる方います?「百舌鳥野陵」(*訂正済)ですね。で、「百舌鳥原」がね、ここにあるんですよ。これ「百舌鳥原」です。(*省略)あそこに実は「百舌鳥原」の(*省略)金山ですかね、そういう跡がありますね。


だから、香春の土地の中に実は菟道稚郎子、宇治天皇さんのお墓の跡と思われる「伽羅松」の遺跡と、それから「百舌鳥原」という地名と両方あるんですよ。だから、大鷦鷯さんのお墓もこの香春の町内にありそうなんですね。という、それは今のところヒントだけです。こちら地名研究会ですから、やっぱり一応地名の方、当たっときますね。




これが先程お見せした北から見た「天香山」です。これがほら、全山「真っ白」だった時代、見て、考えてください。わかりますでしょ?周りが「緑」で、山全体が「白」。さぁ、そこでその天香山、これを探しに行った時に、とんでもない事態にぶつかりましてね。