「夏4月」というのは古典では1・2・3が春、4・5・6が夏ですよね?すると春過ぎて夏来たって言ったら「4月」です。ほら、「4月」やないですか?宇治天皇さんが再び香山に登られたのが。これを見送られたのは誰か?「髪長媛」さんなんですよ。すると草木の生えてないあの天香山に、二度目の国見に夫の宇治天皇さんが登って行かれる。
「真っ白け」の山ですから、小さくとも姿が見えるわけですね。どうか民のかまどが賑わっていますようにって詠んだのが、あの<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>。だから、あれは「情景を詠っただけの歌」ではない。その後に当然のことながら、あれほど我慢して民の幸せのために苦労なさったその結果なんだから、どうか民のかまどが賑わっていますようにという、そういう髪長媛さんの優しい心が裏にある歌だったんでしょうということを私申し上げたかったわけです。
良い歌でしょう?「情景だけ」やないんですよ。自分の夫、旦那さん、天皇さんが3年後に税を取らずに苦労されてきた天皇さんが、もう一回天香山に登って民の様子を見に登られる。「どうか民のかまどが期待通り賑わっていますように…」それが髪長媛さんの良い所なんでしょ?だから、「持統天皇」じゃ意味なさなかったんですよ。だから私はこの国で初めて、これを「髪長媛皇后の歌」って言い切ったんです。合いますでしょ?この時に『日本書紀』ってすごいでしょ?
だから、そこの「夏4月」だけ改めてないんですよ。ピッタシでしょ?「夏4月」に、「夏4月」に再び、3年後の「夏4月」に宇治天皇さん登られたんでしょ、香山に?それを皇后さん見送られたんでしょ?だから、あれは「情景だけの歌」ではなかった。そこには当然、旦那さんの期待通りに、「どうか民のかまどが賑わっていますように…」出来た奥さんですよねぇ…やっぱり今の美智子皇后さん思わせる所ありますでしょう?だから、夫唱婦随で、ねぇ?
今上陛下が被災地に出かけられると、どんなに首痛くてもお出かけになって、ね?国民とお話しされる。あの美智子皇后さんと繋がるやないですか、どっかで。だから私、天皇家のね、実態暴きながらもね、やっぱり良い天皇さんは良い天皇さん、良い皇后さんは良い皇后さんって言ってるんですよ。全部が全部、悪いなんて言ってませんよ。ねぇ、時々人から右翼と言われたり、左翼と言われたりしますがね。そんなことはないんです。その私が知りたいのは「歴史の事実・真実」なんです。
だから、「真実の仁徳天皇」さんの解析でここまで来たわけですよ。最初の頃はね、高校で<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>、あの通説のあのチンケな「緑」だらけの山で、人のねぇ、何か白い衣が干してある。それを見て、どこが夏が来たんじゃい!と。さっぱりわからなかった。まさか、そこにこんな皇后さんのその優しい気持ちまでこもっている。誰が想像しました?私だってわかんなかったですよ。ただ天香山にこだわり抜いてここまで追及したら、見えてきちゃいましたよ。
これで私が通説に強い訳がわかったでしょ?通説にどんなに責められたって、私答え返しますよ。これは天皇家の祖先の、天皇さんも皇后さんも、共に優れた人格の、その優れた業績の歌なんですよと。そうすると『百人一首』の1番、2番。選んだ藤原定家も偉いけど、よく残りましたね。この歌がね。「奇跡」ですよね?これで『古事記』『日本書紀』『万葉集』「記紀歌謡」、全部横断してわかっちゃったんですよ。さぁ、そうした時に最後に残されているのが、実は『万葉集』7番歌。
また戻っちゃいますよ。ね?そうしますと、『万葉集』7番歌の意味は一体何なのか?ということですよね。だからやっぱり、<金の野のみ草刈り葺き宿れりし~>でしょ?だから、あれはやっぱり宇治天皇、宇治の京の歌でしたから、<宇治の京の仮廬>というのは、『小倉百人一首』の天智天皇の歌と同じでして、民から税金取らなかったわけですから、宮殿の修理もできず、雨漏れしていた仮廬のような宮殿でしょう?その時の生活をしみじみと思い出されたという、これも実は「宇治天皇さんの歌」だったわけでしょう?