言っときますけど「真実の仁徳天皇」さんですよ!大鷦鷯じゃないですよ!菟道稚郎子ですよ!噛みつきますけど(笑)。その最初の奥さんが髪長媛だったんです。さぁ、もうここまで来ました。そこにね、『日本書紀』をこれも私この国で初めてやらかしました。よく我々は『日本書紀』改竄の書だ、改竄の書だ、偽書だ、偽書だって言っていますでしょう?ところがそこまでね、改竄してあるんだってよく言われるんですよ。だけど、どこをどう改竄してるのかって考えた人今までいなかったでしょ?
福永アホですから、挑戦したんです。じゃあ一応『古事記』に書いてあるように、「聖帝伝説」は3年間の期限付きの出来事だよと。この記事に合わせると実は『日本書紀』の「聖帝伝説」というのはものすごく長いんですよ。十数ページにわたって。途中にね、もう色んな年数が入っててね、何だかんだで十数年から二十年近くなっちゃうんです。これをじゃあ、思い切って「3年」に戻そうやないかってやったんです。それがこの成果ですね。途中二重線で消してありますよね。
これが改竄の跡。これ全部消していったんです。消してまわったんです。これを『古事記』と同じように3年間の中に収めちゃったんです。そうしたらこれが全部宇治天皇の業績に収まってしまったわけです。これが良かったわけですね。この手法、当たりでした。途中に古典が、中国の古典をいっぱい引いてありますね。ここで注目していただきたいのはですね、20ページです。ここに中国古典がね、たくさん引用してあるんですよ。実は仁徳天皇紀、『日本書紀』の方は。
それはもう後で家に帰って詳しく読まれてください。20ページの下段の所です。この④の所だけ見てください。そこに私が原文の改竄された所を削って、新しく付け加えた文も含めて、<『三』(七)年の夏~>本物の仁徳天皇さん、つまり宇治天皇の3年の<~夏四月(の辛未の朔)に、天皇、『香山に登りまして』(臺の上に居しまして)、~>で、これもちょっと戻したんですがね。<~遠に望みたまふに、烟氣多に起つ。是の日に、皇后に語りて曰はく、~>この皇后がそこ印入れといてください。
これが「髪長媛」です。後に大鷦鷯に寝取られる髪長媛さんです。<~に語りて曰はく、「朕、既に富めり。更に愁無し」とのたまふ。皇后、對へ諮まうしたまはく、「何をか富めりと謂ふ」~>さぁ、雨漏りの宮殿に3年間住み続けました。そうやって民の暮らしが豊かになったわけですね。香山に登ったら煙が、かまどの煙が上がっていたと。それで本物の仁徳さん、宇治天皇さん言われました。「私はもはや富んだ」と。「豊かになった」と。「もう一切憂いはない」とおっしゃると。
そうすると皇后髪長媛さんが答えて申し上げなさったことには、「何を富んでいるとおっしゃるのですか?」と申し上げると。それで天皇が言うことには「煙が国中に満ちている」と。で、「百姓は自然と豊かになった、なったのか?」とおっしゃると。で、皇后がまた言したまはくということで、(*上の原文<~とまうしたまふ。天皇の曰はく、「烟氣、國に滿てり。百姓、自づからに富めるか」とのたまふ。皇后、且また言したまはく、~)
<~「宮垣壞れて、脩むること得ず。殿屋破れて、衣(おほみそ)被(おほみふすま)露(つゆにしほ)る。何をか富めりと謂ふや」と~>と皇后さん、髪長媛さん、からかうんですね。「こんな雨漏り生活ばっかりやって」って。「どこが豊かになったの?」なんて。そういう風におっしゃるんですよ。<~(まうしたまふ。)天皇の曰はく、~>ということで、<~「其れ天の君を立つるは、是れ百姓の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。~>これ本当に中国は儒教孟子の「民本主義」というやつですね。
<~是を以て、古の聖王は、一人も飢ゑ寒ゆるときには、顧みて身を責む。今百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは」とのたまふ。>というね、何か禅問答みたいですが。民が豊かだったら、自然と主君も豊かなんだよと。これが最初の御后であった髪長媛とのお話のはずなんですね。そこで、ここで線引いていただきたいのが④の3年の夏4月なんです。「夏4月」なんです。ほら、それで『小倉百人一首』の2番歌です。<春過ぎて
夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>