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2017年7月25日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [1時間20分~1時間25分]

有名なお話です。ほら、これが「3年」。だから、大鷦鷯と菟道稚郎子が位を譲り合った3年。つまり、そこは誰も天皇は即位してないことになりますね。ところが実は菟道稚郎子が宇治天皇となられて3年、この3年の間に彼が行った業績こそが3年の課役免除だったんですよ。そうするとこれが『万葉集』の2番歌に戻って、<倭には群山有れど取り鎧ふ天の香具山登り立ち國見を爲れば國原は煙立ち立つ~>、税金をやめて3年後に登られた時の歌です。


<國原は煙立ち立つ>、人民のかまどから煙が上ったっち言うんです。これ、古田さんがね、私と一緒に大分県のね、鶴見岳に登り行って、それで煙はあの別府温泉の湯煙じゃなんて言いましたけど、違うだろと。やっぱりこれだった。そして大事なことはさっきの地図にありました通り、この天香山500メートルの山からは、どっちの淡海であれ「海」が見えてるんです。だから<鷗立ち立つ>です。<~海原は鷗立ち立つうまし國そ~>


そして『万葉集』は「豊」の字が抜けてるんですが、<~豊蜻蛉嶋倭の國は><わたつみの豊旗雲に入日射し今夜の月夜さやに照りこそ>と謡うんです。だから、これを謡ったのは『日本書紀』における菟道稚郎子、たった一ヶ所しかない宇治天皇さんの歌だったんです。これ抜き出したんですよ。で、今その中の話読まれました?すごい天皇さんでしょ?3年税金取らなかったから宮殿はどうだったって書いてあります?ん?「雨漏り」でしょ?


雨の漏る所に箱置いて、何か江戸時代の貧乏長屋みたいですね。これが宮殿だったっち言うんですよ?それで帝と最初の奥さんであったはずの髪長媛とは、それで雨の漏らない所に移って、そこが漏ったらまた移って箱を置いて。それで転々と過ごして3年間貧乏暮らししたっち言うんです。天皇さんと御后様が。これがあったんですよ。先に流しましょう。『百人一首』の一番有名な歌、『百人一首』の一番目。<秋の田のかりほの庵のとまをあらみわがころもでは露にぬれつゝ>


あれは天智天皇さんの名前になってますけど、この故事がモチーフ、下敷きにあったんですよ。あれは天智天皇がお百姓さんの真似事をして、お百姓さんの苦労を思いやった歌だっていうことで、あれは「夜露」に濡れた、そう解釈してあるんです。高校の『百人一首』では。私はそれを完全に違うって言ったんです。もうここに書いてありました。「雨露」に濡れるんです。大事なことは「宮殿」の屋根がおんぼろで雨漏りするんです。


大事なことはそれでも、私は大王として民の暮らしが豊かになることを願うって歌だったんです。千数百年間、間違いだらけの解釈です。だから、「仁徳天皇」さんていうのは天皇家においても公家においても、そして我々庶民の間でも敬われた天皇さんだったんでしょ?だから、昭和天皇、今上陛下、皇太子に至るまで「仁徳」さんの「仁」という字が付くんでしょ?人民を思いやる天皇さんでいたいから。繋がっとるやないですか。


だから、現天皇家も仁徳天皇さん未だに心に思っていらっしゃるわけですよ。平安朝の天皇さんと同じように。だから今の今上陛下なんていうのは、あちこちで災害があったらいつでもあのねぇ、もう皇后さんなんか首痛いのにそれでもお出かけになって、それで背を低めて、ねぇ?民の座っていらっしゃるねぇ、人々の目線とね、視線と合わせてね、お話しかけられてね、偉いですよね…あれやっぱり理想が仁徳天皇さんだからですよ。