だから大鷦鷯が逆に横恋慕して、奪い取ったっち言うんですよ。この後わかりますけど、だから宇治天皇は何で3年で死んじゃったか。だから多分、大鷦鷯が何らかの謀略を巡らして、宇治天皇を死に追いやったんでしょうね。宇治天皇は亡くなった後に、未亡人となった髪長媛を手に入れるわけですよ。そしたら「倭三山の歌」誰が作ったか知らんけど、すごい替え歌でしょ?歴史を詠ってたんですよ。今までの国文学者、誰も気付かなかったんです。
都立高校の教員がやっと気づいたんです、21世紀に。ここ、ずーっと巡ってて。さぁ、そこであと14ページはそれが書いてあるんですね。三山歌の真意―妻争い。そこの下の段に訳も書いてありますよね。もう一回見てみましょうか、下の段、ちょうど写真の下です、はい。ほら、[遠い国の古波儾嬢女は恐ろしいほど美しいと噂が高かったが、今は私と枕をかわす仲になった]、[遠い国の古波儾嬢女が、逆らわずに一緒に寝てくれたことを素晴らしいと思う]。ほら、歌おかしいでしょ?
今まで誰もここに嫌疑差し挟まなかったんですよ?気付いちゃったんです、とうとう。だから、「倭三山の歌」作った人すごいですよね。しかし、「奈良県」じゃダメでしょ?だって、奈良県「高山」ないんだもん。大鷦鷯尊の宮ないんですもん、難波高津宮が。もう一回繰り返します。奈良県、「海」があるんでしたっけ?「ない」ですよね。はい、そういうことになったわけなんですね。だから、その傍線引いてある所読めば読むほどわかりますよね。[恐ろしいほど美しいと噂が高かった]。
これホント『古事記』『日本書紀』の記述と全然「逆」やないですか。何で「噂」ですか?だって、父帝の宴会で見初めたんでしょ?ね、おかしいでしょ?[逆らわずに寝てくれた]、おかしいでしょ?ねぇ、こういうおかしさにやっぱり気付いちゃったわけなんですね。「倭歌が解き明かす古代史」、倭歌ってすごいでしょう?こんなこと書いたんですね。『万葉集』も「記紀歌謡」もね。
さぁ、それではもう少し頑張りましょうかね。さぁ、それで大鷦鷯の所に妻争いの結果、宇治天皇の亡くなった後に、大鷦鷯の元に髪長媛は仕方なくそこに入っちゃったわけですね。さぁ、そこで7番の聖帝伝説の疑義で、大山守皇子の反逆とありますが、もうこれはちょっと取っちゃいましょう。ただこの中にですね、大山守皇子が最終的に溺れさせられて死んでいくんですがね。
その時に彼の死体を揚げる時に、鉤をこう掛けたか誰か投げかけて、それで音が「訶和羅」(かわら)と鳴ったから、そこを「訶和羅前」 (かわらのさき)と言うんだとか、そういう地名説話残ってるんです。「香春」(かわら)でしょ?「訶和羅」と音がした。だから、「訶和羅前」と言うんだっち言うんです。だから、大山守命の反逆というのも、実際はどうか知りませんけどね。
大鷦鷯が逆に殺しちゃったのかも知れませんけども、あれは『日本書紀』の中では、菟道稚郎子、つまり宇治天皇が船を傾けて殺したっていうことになってますけど、実際に殺したのは「大鷦鷯」でしょ?推測ですけど。だからその時にとにかく、彼の身体に掛けた時に「訶和羅」って音がしたから「訶和羅前」っち言うんです。当然、これ「香春」ですよね。私の頭の中ではね。だから、この土地の出来事です。
さぁ、そこでですね、もう一つ面白いのが、そうやって最終的にはね、宇治天皇さんは『万葉集』の中にも歌が残っているんですがね。彼、お墓がないんですよ、実は。お墓がないんですよ。それで本当に僕ね、僅かな伝承で17ページの所にありますけどね。彼はこの国の、皇室の中において初めて「火葬」されたって言うんです。火葬されて、灰だけ撒かれたっち言うんですね。
で、このかわいそうな宇治天皇さん、ひょっとして大鷦鷯さんに嫁さんも取られた上に殺された天皇さんかも知れないんですがね。じゃあ、彼のお墓どっかないのかいなと。探しとったわけなんですよ。これは確証ありませんが、一応参考になるのが一つだけありました。『鏡山村誌』、香春です、やっぱり。によると、17ページ下の段、写真の横ですね。(*省略)