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2017年7月20日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [1時間5分~1時間10分]

「見た」んですよね?それで得交(まぐはひ)した時にですよ、<~神の如 聞えしかど~>[~神のように美しいと「噂」に聞いていたけれど~]って、『日本書紀』の歌、言っとるんですわ。「おかしい」でしょ?宴会で直接「見た」んですよ?髪長媛を。それが、何で寝床で[神のように美しいと「噂」に聞いてきて、評判の美女と今、一緒に寝る所だ]って詠うんですか?


ほら?だから、髪長媛は最初は「菟道稚郎子」、『日本書紀』にいう「太子」が求めた女性だったんですよ。それを「大鷦鷯」が、後から横恋慕して「奪う」わけです。とすると、『万葉集』の「倭三山の歌」、もう一回戻ってください。ほら?<高山は 畝火を愛しと~>、「高山」の向かい、「大鷦鷯」でしょ?大鷦鷯が菟道稚郎子と髪長媛を争ったというのが、この歌の「真意」だって、私はこの国で初めて言ったんです。


次がもっとおかしいでしょ?<道の後 古波儾嬢女 争はず 寝しくをしぞ 愛しみ思ふ>、つまり、「抵抗しなかった」って書いてあるんです。何ですか?これは。何が「抵抗しなかった」ですか?ほら?元々腹違いの弟の嫁さん取ったんですもん。普通だったら、操を守ろうとする女性抵抗するでしょ?その女性が、髪長媛が「抵抗しなかった」と誇らしげに詠ってるっち言うんですよ。


これが『日本書紀』と『古事記』の違いだったんです。ほら、「倭歌が解き明かす古代史」、すごいでしょ?寝取ったの「大鷦鷯」です。元は「宇治天皇の后」です。だから、『日本書紀』において、髪長媛は「又妃」って書いてありますでしょ?菟道稚郎子の時には「正式の正妻」、「御后」だったんですよ。「正妃」だったんですよ。ところが、大鷦鷯がそのベッピンさんを、菟道稚郎子が3年でどういうわけか死んじゃうんですよ。


それを奪い取って、それで初めて寝る時の歌が、これだっち言うんです。ほらー、「歌」ってすごいでしょ?「真実」がちゃんと書いてあるやないですか?ね?ここまでこだわり抜いて、そうした時に、その歌の中に出てくる「古波儾嬢女」(こはだおとめ)という言い方が、今までの解釈、国文学の世界では、もう全然わかんなかったんですよ。もう一回行きましょうか?


応神天皇が、菟道稚郎子の母親と出会った場所が「木幡村」。「こはた」…「こはた」。そこに菟道稚郎子は「宇治の京」を建てたんでしょ?そこの正式の御后として入ったのが「髪長媛」なんでしょ?だから、「古波儾嬢女」なんでしょ?ほら?『山城国風土記』と繋がったんです。「木幡」。『古事記』、『日本書紀』と繋がったんです。「木幡村」の出身のお母さん、そのお母さんの出身地に「宇治の京」を建てた。


そこに迎えられた正妃こそが、「髪長媛」。だから、「髪長媛」のことを大鷦鷯が再び「古波儾嬢女」と詠んだわけです。これ、国文学の世界でも「謎」だったんですよ?千数百年間も。21世紀の福永が解いたんです、やっと。「木幡村の嬢女」です。ということは、「宇治の京」の宇治天皇の正妃に入っていた女性を、今私が手に入れたぞと、これ歓喜の歌だったんですよ。


力づくでね。だから、「抵抗しなかった」って喜んでんでしょ?ほら、もう現代と変わらないやないですか?そうすると、「倭三山の歌」、わかりましたでしょう?「高山」は「畝火」を愛しとって争うんです。争った相手は他でもない、腹違いの弟・菟道稚郎子です。宇治天皇です。