ページ

2017年6月2日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [45分~50分]



この前お話ししたように、ここに「ビワノクマ古墳」があるんです。ここまでだから、入り江がこう大きく入り込んでて、細くこういう風にまだ「難波高津宮」の辺り何かに海入ってたらしいんです。これが「ビワノクマ」、「琵琶の隅っこ」の古墳だっち言うんです。だから、行橋に入っていた入り江のことを今でこそありませんけど、これが「琵琶の海」じゃないかと。


つまり、この「琵琶の海」が滋賀県に引っ越して、「琵琶湖」になってるんです。だから、琵琶って「丸い」ですよね?ビワの実。つまり、琵琶の楽器も胴体部丸いですよね?行橋市の歴史資料館行きますと、本当に綺麗な「びわ」みたいな丸い入り江が入り込んでいるという、そういう模型なり写真、図なんかがありますよね。あそこの資料館には。ここに気付いたんですね。


幸いなことに、そこの『万葉集』にありますように、これがあの有名な「三山歌」と関係するってことがわかってたんですね。(*省略)<高山は~>これ、どうやら「かぐやま」と読ませます。<高山は畝火を愛しと耳梨と相争ひき神代より此くにあるらし古も然にあれこそ虚蝉も嬬を争ふらしき>(13)というこの歌ですよね。この「高山」というのも、これを「かぐやま」と『万葉集』では簡単に読ませてたんですが、どう見てもこれやっぱり「たかやま」だろうと。


「高山」ってどっか他にないのかいなって探してる内に、やっぱり神功紀を読む会の中にいらした、今は亡くなってしまわれたカミカワさんとかですね、それから高見大地さん。「あるよ!」と。「高山、あるよ!」と。これ(幸ノ山)だっち言うんです。この「幸ノ山」のすぐ下の所にですね、「高山」という字名が明治時代まで残ってたよっち言うんです。「は?!」っつな感じでね。()


とにかくその場所が他でもない、ほら?こっちの方に行きますと、「椿市廃寺」がある所なんですよ。
「え?何でそんな所にあるの『高山』が?」そうした時に、その向かい側にお宮さんがあると。みんなして行こうと。その時はね、わかりませんで、この辺り細い道をですね、クネクネクネクネ行ったんですね。こっちから入れば何てことのない(*不明)。それで行き当ったのがこの「五社八幡神社」だったんです。




その「五社八幡神社」さんに行った時に、最初はそこがどんなお宮さんであるかということはわからんかったんですね。これが正面の写真ですね。木に覆われてますけどね、結構小高い、登れば結構50段、60段ありそうなお宮さんです。ほら、ちょうどやっぱり「島」みたいになってますよね?この手前、近くまで池、海があったとした時に少しやっぱ小高い所にありますね。




そこの写真が今度は(*不明)でございますね。上がってビックリですね。結構、上広いんですね。驚いたのは左右に「回廊」があるんです。田舎の神社さんですよ?「回廊」付きです。「え?何でこんな所にこんなお宮さん建っとんじゃ?」と。ここで直感したんですね。これ、何か「いわれ」があるぞと。最初行った時、わかんなかったんです。一年後に行ったんです。その時はたまたまお祭りの日か何かで、拝殿まで入れたんですね。


拝殿の奥に、(*省略)そこに貼り紙がありまして、そこにあの仁徳天皇の有名な「聖帝伝説」がなぜか知らないけど、この地に残っているという、そういう神社の簡単な縁起があったんです。「聖帝伝説」。あの例の、民のかまどから煙が上がらない。民は困窮している。だから、3年間税を取らないよと。あのお話です。あの伝説がどういうわけか、この地に残っている…もう、それ聞いた瞬間に「はぁ…ここが仁徳天皇さんの場所かいな」と。