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2017年5月31日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [35分~40分]

じゃあ、この柿本人麻呂が詠んだそこの「物乃部の八十氏河」という字に注意してください。(*省略)この「八十氏河」です。で、この古遠賀湾に居ますよね?「筑紫物部氏八十氏」。だから、「氏河」というのはこの「古遠賀湾・近つ淡海」に注ぐ川のどれかです。それが「菟道河」なんです。「物乃部」、字見りゃわかりますね?読み方ちょっと変えれば「物部」です。


もう筑紫物部氏は谷川健一さん辺りがもう盛んに言ってますよね?ほら、ここじゃないですか?物部氏が住んでた所。だから、「菟道河」は当然この古遠賀湾に注ぐ川のどれかです。尚且つ、その可能性があるのはどこかということを探していったら、やっぱり先程一番最初に紹介した神武以来の都の跡、香春を流れる川じゃないかということで、「金辺川」が浮かんだわけです。


だから、これが代表的な「菟道河/宇治川」であろうと。だから、結局忍熊王も御所ヶ谷神籠石の辺りの京から逃れて、この例えば古遠賀湾に入って、そして逃げようとしたら、もう武内宿禰、あるいは武振熊ですか、そういった連中に遮られて、もう捕まったら惨たらしく殺されるから、じゃあ家来に向かって、痛手受ける前にじゃあもう二人で死んでいこうと言って、五十狭茅宿禰(いさちのすくね)と一緒に飛び込むわけですよね。その場所が「瀬田済」です。


琵琶湖の「瀬田」じゃありません。「せた」ありますね。「勢田」があります。あの「鹿毛馬神籠石」の近くです。あそこに「勢田」という地名があります。多分、あの辺りが海だった頃、そこに忍熊王入水自殺したんでしょう。それがこの古遠賀湾であれば、満潮になったらこれ、押し戻されちゃうわけなんです。川の、菟道河の方に。その菟道河で忍熊王、鳰鳥を捕まえたぞと言うわけです。


だから、武内のじいちゃん勝ったんです。彼の死体探し出したんです。だから、すごい歌ですよね?柿本人麻呂がさっき言ったように5世紀の歌人であるとするならば、彼は古田さんが言うように「壬申の乱」なんて知りもしません!昔の人ですから。あれは壬申の乱を二重に掛けた歌なんかじゃないんです!ただ単に神功皇后軍が仲哀の正統の跡継ぎである忍熊王を最後までやっつけたという記事しか書いてないんです。


だから、入水自殺の歌しかないんです!ですよね?何せ大友皇子は山前(やまさき)で首括って死ぬんですから。全然違うわけです。とういうことで私はもう壬申の乱とは全然関係がないと、もうはっきり言い切ったわけですね。さぁ、ここまでで大事なことが「宇治の京」、大分絞られてきましたでしょ?あそこに注ぐ川のどっかにあった。それから神武以来、香春の土地が、ここが中心に都が遷宮と言いますかね、今の伊勢神宮のように遷宮するわけです。代が変わるごとに。


しかし、どうもこの近く、この近くに「宇治の京」がどっかにあったはずだと。それを徹底的に私は探していったわけなんでございますね。したがって、まだ『万葉集』の7番歌、<金の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の京の仮廬し思ほゆ>という歌、これまだ謎が解けてないんですね。さぁ、そこでですね、この歌をもう一回考えたわけなんです。それで「秋の野」って読んでありますがね、これは中国の五行説にしたがって、あの「木火土金水」というのがありますね?


「木火土金水」。この「金」、「金」の部分が季節でいうと「秋」に当たるからってことで、これを万葉の学者たちが「秋の野」って勝手に訓読しちゃったんです。私はしかし、これを固有名詞と思ったんです。みなさん、この「金野」って書いてあって、誰が最初から素直に「秋の野」って読めます?僕頭悪いですから、中国文学科出てても、いやこれはやっぱり「金野」って読むんだろうと。