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2017年5月26日

#005 「続・真実の仁徳天皇」福永晋三 [20分~25分]



これまたいつもお出ししてる(*省略)あの写真とまた別の写真です。探し出してきました。こちら側から一ノ岳、向こうですね、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳ですね。「天香山」が一番左端です。三ノ岳です。真ん中が「耳成山」(みみなりやま)。あそこが「畝尾山」というのも神話の中から探し出したんですがね。この神の御山が「削られちゃった」わけですね。はい、現在の香春三山です。無残なことに「畝尾山」も200メートル以下ですね…




あんなに削られちゃいました。さぁ、これどっかで仕入れてきた、ちょっと高い所撮った現在の一ノ岳です。こうやって掘られちゃいましたね。大事なことはこれから証明していくんですがね。平安時代、最澄さんが唐から帰ってきまして、それで航海が無事に終わったことを感謝して、それで神仏に祈って、初めて天香山に草木が生えたという伝承があります。


つまり、平安時代までこの山には草木が生えてなかったんですね。現在掘っちゃいました。見てください、ほら?周りが「緑」でしょ?この山自体は今掘ってるこの現場と同じ「真っ白け」だったんです。この情景が思い至れば、これから解いていきますけどもね、あの『小倉百人一首』2番歌ですね。持統天皇の歌になっておりますが。<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>


こっちの山の歌だったと。さっきの「通説の天の香具山」じゃ、わからんでしょ?夏になっても「オール緑」でしょ?山自体も。ところが、これ山自体が「真っ白け」なんです。そこにだから、造化の神が、神の衣を乾し掛けてあるように香具山だけが真っ白に照り輝くことよという歌だったんです。『万葉集』の中でやっぱり「雄大」な、「素朴」な、「現実描写」をやった歌なんですよね。


これが皮肉なことに、こうやって掘られたから、わかっちゃう。もっと面白いことに神話の時代に、天之忍穂耳命が英彦山からこの香春岳までやってきまして、地元の神様に嫌がらせを受けたと。それで腹かいて、ここの草木を全部抜いて、また英彦山に戻っちゃったという伝承があるわけですね。すると、天之忍穂耳命から最澄が祈って草木が生えるまで、実に900年近く、下手したら1000年ですか?




これ、草木の生えていない山だったんですよ、「真っ白け」の。「石灰岩」の山ですから。そこで詠まれた歌だったということが、わかってきたわけなんですね。さぁ、それで最初に申し上げた歌の所なんですがね、(*省略)大事なことはあそこですよね。古遠賀湾がこれが「近つ淡海」、それから行橋の所がやっぱり入り江になっておりまして、これが「遠つ淡海」。つまり「遠江」です。


だから今でこそ我々は近江「滋賀県」で、 遠江が「静岡県」の方になっちゃいますが、古代の倭国では「近つ淡海・近江」とそれから「遠つ淡海・遠江」、同じ福岡県内です。非常に狭かったんですね。香春岳というのは、あそこに「福智山」ってあるんですがね、あの辺りにね。あのすぐ近くの山系ですよね。あそこからはですね、古遠賀湾の方であろうと、行橋の海であろうと、500メートルの三ノ岳に登ったら見えるんです、「海」が。


そこをカモメが飛んでるのは昔の2.0以上の視力の天皇さんだったら、やっぱり見えたわけなんです。だから『万葉集』、やっぱり「実景描写」だったわけです。実に簡単でございますね。さぁ、そこで仁徳紀を読んでいて、じゃあその<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>この歌を本当に詠んだ人は誰なんだろうと。