(*省略)はい、それでは自己紹介からですが、途中からですね、『万葉集』の研究を始めまして、倭歌が解き明かす古代史というシリーズをこの数年ずーっとやってございます。今日もレジメにはそういう風に書いてございますね。そこで『万葉集』、それから「記紀歌謡」、その歌から逆に歴史事実をもう一回捉え直そうという、そういう無謀な試みをやっておりまして、それが意外なことによく当たるという、そういう不思議な、自分でも不思議な事実に行き当っております。
一応、今回、今年の久留米大学の講演会でも「古代史研究家」になっておりますけども、もうそろそろ「万葉集研究家」に切り替えようかなと思ってるぐらいです。そういうことで、今日はその『万葉集』の方から、仁徳天皇紀をもう一回読み直した時に、どんな事実が浮かんだかということで、実はもう2012年にこちらで概略はお話してるんですが、今日はその時お渡しできなかった資料ですね、後ろの(*不明)さんもこれは本にしていんじゃないかと、やっと太鼓判押してもらった物ですが、全ページ印刷してきました。
全部で38ページございます。これを掻い摘んでいきますけども、前回よりも詳しくやっていきたいと思っております。(*省略)それでは、万葉集の軌跡―倭歌が解き明かす古代史シリーズで、「真実の仁徳天皇―香具山に登りて望國したまふ天皇」という題名になってございます。これは『万葉集』の2番歌に有名な歌がありましてね、<倭には群山有れど取り鎧ふ天の香具山登り立ち國見を爲れば國原は
煙立ち立つ海原は鷗立ち立つうまし國そ『豊』蜻蛉嶋倭の國は>
そして、私が抜き出したのが「反歌」、これは『万葉集』の15番歌になるんですが、<わたつみの豊旗雲に入日射し今夜の月夜さやに照りこそ>という歌があります。その歌が実は元々は長歌・短歌の組み合わせではなかったかということで、今、世の中に打ち出してるところなんですがね。それを本当に東京で神功紀を読む会、実は日本書紀を読む会なんですけども、その中で神功をやったら、どうしても応神をやんなきゃダメだと。
応神やったら、次は仁徳をやるべきだと、もう会員のみなさんにせっつかれて仁徳を読んでたわけです。仁徳を読んでた所でハタとたった一句の所で止まりまして、それで変なことになってしまったわけなんですね。(*省略)そこにも書いてありますけども、要するに神武天皇、この方が倭王朝始められたということは、もうみなさん『古事記』、『日本書紀』の世界でご存知かと思います。
これが実は『三国志』、いわゆる『魏志倭人伝』に書いてある「男王」、その初代王こそが神武だよということで、私の場合にはそこに書いてありますように西暦121年、初めて言ったんですかね、辛酉の年、しかも香春、田川郡香春の香春岳の一ノ岳、その畝傍山の東南に橿原宮を建てられて、そこで即位された天皇さん。
それは『魏志倭人伝』に書いてあるわけですから、当然「邪馬台国」の初代王であるわけです。この邪馬台国というのが、これはもう近頃何度も言っておりますけども、実は呉の孫権に仕えた謝承という人物が『魏志倭人伝』、『三国志』の前に『後漢書』を書いております。