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2017年5月8日

#004 「真実の仁徳天皇」福永晋三 [3時間~3時間5分]

[質問者: 「とよあきつ」はわかったんですけど、「そらみつやまとのくには」の「そらみつ」っていうのは中々読んでてわからんないで、先生のご感想を。]


それは「天満倭」考という論考で書いておりますが、(*省略)「そらみつ」という歌は先程申し上げた万葉集29番歌に、<虚見倭乎置~>(そらみつやまとをおきて~)という柿本人麻呂の歌がありまして、あれの一書に云はくの形の中に<天尓満>、「天満宮」の天満という字が書いてございます、ええ。


それで私はあれが「天満」が「そらみつ」の最初だろうと思ってますし、あれをだから普通に読めば、「あまみつ」のはずなんです、ええ。そうしますと、あれは「あまみつやまと」であったはずなんです、はい。その「天満倭国」、つまり私の言うところの天満倭の「倭奴国」ですね。倭奴国が神武に滅ぼされて、これが同じ字で「そらみつ」という読み方に替えられたんだろうと。


それで、その「そらみつ」というのがですね、私の盟友である飯岡由紀雄氏によればですね、『鬼の日本史』を書いた誰でしたっけ、読売新聞か誰かの沢史生さんですか、彼が書いた中に広島方言か何かに「そらみつ」という、あるいは言葉があって、それは「何もない」という意味の罵りの言葉だっち言うのがあるんですね。だから、やっぱ「あまみつ」が「そらみつ」に書き換えられたんじゃないかと。


で、「あまみつ」というのは字の通り、我々は大海人皇子とか、それから海で生きる海女さんという字を知ってますように、「海人」というのは、だから「天族」ですね。だから、「天孫族」「天神族」どっちでもいいです、「天族」。その「天族の満ち満ちる倭」、したがってその「天満倭」というのは最初の古遠賀湾に蟠踞(ばんきょ)した「天物部氏」たちを指す言葉だったんじゃないかと考えております。


で、その天物部氏が多数居住する場所、そここそが「天満倭国」(あまみつやまとのくに)ではなかったかと、その「天満倭」考に書いております。だから当然、太宰府天満宮さんは「菅原道真公」じゃなくて、「天神さん」祀ってるんですよ。で、「天神さん」というのは古くはですね、「天忍骨尊」を指しましたし、「天忍穂耳尊」を指しましたし、『先代旧事本紀』では「ニギハヤヒ」を指しましたし、更に『古事記』あたりではその天孫降臨を果たした「ニニギノミコト」の更に昔の「イザナギ」「イザナミ」のもっと前の神様も「天神」と言いますね。


だから「天神」というのは、だからもう全部「天族」の神様ですね。大中心の神様です。それがだから、やっぱりニギハヤヒと一緒に降って来たのが、場所がやっぱり「天満倭国」ではなかったかと。それが神武さんに滅ぼされて「そらみつやまと」。だから、「やまと」にかかる枕詞というのは少なくとも3種類あるんですね。あと、「しきしまのやまと」とか。そういう風につながっていくわけですよね。


だから、その時々に枕詞が変わるということは、やっぱり倭の地というのは私が「倭国易姓革命論」書いたように実は万世一系ではなくて、王権が実は血筋が変わる度に倭の枕詞が替わったんだろうということを、その「天満倭」考で書いております。だから、「天満倭」考で書きましたように、原型は「天満」と書いたと思います。で、その証拠が『古事記』か『日本書紀』に残ってますね。


「アマツヒコニニギノミコト」とか言う名前が、別名が「そらみつひこ」とか何とかそういう風に変わりますんで、細かく表記を追っかけていくと、「あまみつ」と言ったり、「そらみつ」と言ったり、すぐ替わっていく可能性があります。「事代主命」にも確かそういう名前が、変遷の跡があったと思います、はい。


[質問者: 先程、安心院に「おおたらしひめのおたまやのいますやしろ」っていう風に言いましたけど、「大足」っていう名前が唐突に出てきたわけじゃないんですね。景行紀でしたですかね、ちょっと私にはあの…]


「大足」、景行です。大足彦、はい。


[質問者: 景行天皇(*不明)その中にですね、菟狭津彦から菟狭川の上流にですね、「鼻垂」(はなたらし)っていう一族が住んでると。


はい、「鼻垂」、「耳垂」、はい。


[質問者: 「鼻垂」、「耳垂」、はい。宇佐神宮のあれではですね、「はなたれ」とか「みみたれ」というような言い方するんですが、現地の安心院ではですね、「はなたらし」、「みみたらし」っていうような言い方してます。ですから、そういう「タラシ」っていうのはその地には、大足姫の御霊屋 の神社があるんですけれど、あの地域にはそういう「タラシ系」のあれを名乗る民族がいたんではなかろうかと。そういう具合にちょっと私は考えていますが。]