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2017年4月13日

#004 「真実の仁徳天皇」福永晋三 [2時間10分~2時間15分]

良い帝さんですねぇ…これが、宇治天皇さんが目指した「王道政治」です。これは中国の『孟子』なんていう書物にありますね。とにかく、本当の意味で民が第一だとする「農本主義」という考え方なんです。「民本主義」。民が国の基だよという考え方です。それがよく表れた歌だったんですよ。そしたらですよ、もうおわかりでしょう。この歌、だから天智天皇じゃなくても良いんですが、この解釈、『百人一首』が今まで全部間違ってたわけです。


[秋の田のかりほの庵のとまが粗いので、それでわがころもでは夜露に濡れていることよ]というのが今までの解釈だったんです。これ、やっぱり天智天皇さんが本物の仁徳さん、宇治天皇さんを思い起こされて、あるいは仮託されて詠まれた歌ですよね。だから、この<秋の田のかりほの庵~>なんてのはですね、従来の『百人一首』の解説書、読むと簡単です。その田んぼのすぐそばの農民が、その農事のために使う「仮小屋」、これにしちゃったわけです。


でも、これは実は「宇治天皇さんの宮殿」だったんです。ですよね、どう考えても?だから、「夜露」じゃないんです。「雨露」に濡れてるんです。だから、これは天智天皇さんが宇治天皇さんに仮託して、自分もできればそういう「王道政治」を、民のことを思いながらわがころもでが雨露に濡れながらも民のことを思う政治をしたいなぁという、そういう意欲の表れの歌と見るべきだったんでしょうね。


とまが粗いので、もう「夜露」じゃないんです。「仮小屋」、「小屋」じゃないんです。お百姓さんの小屋じゃないんです。これは宇治天皇さんの「宮殿」なんです、実は。「仮廬のような宮殿」です。宇治の京が懐かしい。それをモチーフにした歌です。で、次です。これ持統天皇の歌になっております。<春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山>(*こちらは万葉集)


で、私もこの天の香具山を追究して、一時期は豊後の方の鶴見岳かなと思った時期もありましたし、まぁ、これがようやく香春の三ノ岳に戻ってきて、それでさっき言いましたようにね、全山まわり「万緑」の中で、全山「真っ白け」な天香山が雄大に白く輝いているという歌だという所まではやっと来たんですね。で、今回この仁徳紀で本物の仁徳さんが実は宇治天皇さんだ、王道政治をしかれた宇治天皇さんだということはわかった時に、先程の髪長媛さんが実は宇治天皇さんの皇后だとしますね。


そして、『日本書紀』の仁徳紀を読んでいきますと、民のかまどが賑わっているかどうかを二度目に登られるわけですが、その時が何と「夏四月」なんですよ。後で『日本書紀』確認してください。「夏四月」なんですよ。で、古典の時間では123「春」、456「夏」、789「秋」、101112「冬」ですよね、綺麗にね。四等分ですよね?11日新春ですよね?


今の2月の4日くらいになりますかね。節分が大晦日ですから。「夏四月」、現在の暦で5月に天皇さんは3年、税を取らなかった後に、もう一回天香山に登られたわけですよね。そしたら、これ、ほら?<春過ぎて夏来たるらし~>「夏四月」。ジャストタイミングやないすか?ね?そして、さっきも言ったように神代の昔から古墳時代まで真っ白けだったお山に宇治天皇さん登られていくわけですね。


で、天香山だけが造化の神が白妙の衣を乾してあるかのように真っ白に照り輝いていることよ。真っ白の山、草木がないわけですから、宇治天皇さんのお登りになる姿が小さく見えるわけです。「歌い手」、誰でしょう?持統さんになってますけど。ひょっとしたら、これ「髪長媛」さんです。 髪長媛さんが二度目の国見に登られる宇治天皇さんを見送った歌。ピッタシでしょ、情景?雄大な自然と共にそこに小さく点になって登っていかれる宇治天皇さん。