行橋にこんなやっぱり、伝説がいっぱい残ってるんですね。景行天皇が土蜘蛛退治にやってこられたから、「幸ノ山」。しかし、明治以前にはどうも「高山」と呼ばれたらしい。で、それが『古事記』の一部、
古事記の仁徳記、それから『万葉集』13番14番、しっかり残ってたわけなんですね。『日本書紀』はそれをごく普通名詞「高臺」に変えちゃったわけ。
2回目の時なんか、もう「臺」だけです。「臺」だけです。1回目が「高臺」、2回目が「臺」。こういう風に書き換えてありますね。こういったことが、次から次にひも解けてくるわけなんですよ。すごいですよね。さぁ、そこで、その三山の歌がですよ、三山の歌がですよ、実はこの菟道稚郎子さんの妃だった髪長姫に横恋慕した大鷦鷯がですよ、菟道稚郎子・宇治帝が亡くなった後にですね、この人を強引に又妃に迎えた、その時の歌ということがこれで連続してこの資料の横に並べていくと、この事実が透けて見えてくるわけですね。
だから、『日本書紀』の編者も頭良いですね。何せ天皇家の家来ですから、面と向かって大鷦鷯天皇の悪口書けないですよね。でも、『古事記』と『日本書紀』と『万葉集』並んだら、こんな事実が透けてくるんですよ。これが私の唱える「倭歌が解き明かす古代史」なんです。
「歌」は嘘つかんでしょう?だって、大鷦鷯嬉しかったんでしょう?弟のお古だけど。天下のベッピンさん手にしたんですもん。やったぁ!ね?男の冥利に尽きるわけです。何せ相手はベッピンさん。ね、こういうことがわかってくるわけなんでございますね。はい、そういったことです。どうしますか?ここでまた一旦休止ですか?はい。
<休憩>
(*休憩中の会話部分は省略)
はい、それではいよいよ三部に入っていきます。それで、今、黒板に書きましたようにですね、みなさん多分ご存知だと思いますが、『百人一首』のまず1番歌と2番歌です。<秋の田のかりほの庵のとまをあらみわがころもでは露にぬれつゝ>天智天皇。
それから2番、<春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山>持統天皇。それから百人一首のカルタ大会が始まる前に詠われる歌としまして有名な、<難波津に咲くや木の花冬こもり今は春べと咲くや木の花>これが伝説で王仁(わに)の作と言われております。これがこの度の真実の仁徳天皇・宇治天皇と関わる歌だということがようやく判明しました。それでは先程の「聖帝伝説」にまた戻りますね。
で、万葉集2番歌、天香具山に登って国見をなさった歌というのがどうやらこの宇治天皇の歌らしいということは先程申しました。で、実は藤原定家という平安時代末から鎌倉時代にかけての、その百人一首を作った、編集した藤原定家が「長歌短歌之説」という、まぁ和歌に関する歌論、歌の論を残しておりますが、その中にこの舒明国見歌と称される万葉集2番歌が長歌(ちょうか/ながうた)で、実はこれに反歌「5・7・5・7・7」の短歌がついていたと、定家は記しております。
で、それで私もその定家さんを信じて、今の万葉集の中にも、ひょっとしてその時の反歌「5・7・5・7・7」が残っていないかと本気で考えた日本初の男です。ありました。15番歌です。<わたつみの豊旗雲に入日射し今夜の月夜さやに照りこそ>という歌です。<わたつみの豊旗雲に入日射し今夜の月夜さやに照りこそ>という歌です。で、これは先程言いました倭三山、三山の歌、13番の長歌に対する反歌、14番の次に15番歌<わたつみの~>の歌があります。
で、この左注、左の注に今の『万葉集』を編纂したと思われる菅原道真公がですね、15番<わたつみの~>の歌は13番、その妻を争ったという歌の反歌らしくないと。ただ私が今見ている万葉集には、この順番に書いてあるから私もこの順番で載っけておきますよっていう注がついてるんですね。で、その13番歌の出だしこそが「高山」と書いて「かぐやま」の歌なんですよ。
だから、15番歌は本物の「香山」の歌なんです。だから、2番の香具山の歌の本来反歌だったんじゃないかということで、万葉集15番、家に帰って読まれてください。その15番を2番の後ろに私が再びくっつけ直しただけ。そうすると、万葉集2番歌の一番最後はですね、<~うまし國そ蜻蛉嶋倭の國は>ということで、<~うまし國そ/蜻蛉嶋/倭の國は>ということで実は「6・5・7」という、つまり長歌というのは「5・7・5・7・5・7・5・7」で、最後は「5・7・7」と結ばれなきゃいけないんです。
短歌というのは一番最初の「5・7」と一番最後の「5・7・7」くっつくから、「5・7・5・7・7」短(*不明)です。これでだから、万葉集2番歌の終わり方が不自然なんで、今までの学者さんたちの中にはこーんな分厚い本をですね、何でそこが<~蜻蛉嶋(5)/倭の國は(7)>になっているかということを書いた論文があるくらいなんですね。
で、僕は学生時代にそれ読んで、もうアホかいな?と。こんなことこだわってもしょうがないだろと。で、定家さんが言う通りこれは長歌だったとしたんなら、元に戻しゃ良いだけだと。で、どう戻せば良いのかというと、我々古事記、日本書紀を読む人間にはごく当たり前ですね。「~『豊』蜻蛉嶋倭の國は」ですよね。「豊」蜻蛉嶋倭の國ですよね?豊蜻蛉嶋倭の國ですよね?「豊」の国なんですよ。