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2017年4月7日

#004 「真実の仁徳天皇」福永晋三 [1時間40分~1時間45分]

しかし、どうも冷静に考えたら、これが「歴史事実」のようだと。そうしたらですよ、僕は実は『万葉集』をやりたくて、それで日本古代史がメチャクチャやから、しょうがないから日本古代史もやってるんですよ。言い方悪いですけど。古代史がもっとハッキリしてれば、私こんなに苦労しなかったんですよ。ところが、『万葉集』読んでるとどうもおかしいと。歌が合わんと。


場所がちっとも合わんと。中身が合わんと。もう、そういったことで結局倭の国がやっぱり「豊の国」にあったんだということを証明していかなきゃいかん。他の人がやってないから、自分がやるしかない。それでもう一回『万葉集』の名歌なら名歌というの蘇らさなきゃいかん。もう、それがあるわけですよ。それで読んでいた時に、ここでまたほら、先程の「倭三山」て私あの、ほら、ね?


「香春三山」の横に「倭三山」って書いたでしょう?だから、みなさん「倭三山の歌」ってどっかで聞いたことありません?三山の歌?三山の歌。「妻争い」の歌があるんですよ。<高山は畝火を愛しと耳梨と相争ひき神代より此くにあるらし古も然にあれこそ虚蝉も嬬を争ふらしき>という歌があるんですよね。つまり、「妻争い」の歌があるんですよ。でも、それはお山の歌になってるんですよ。


「高山が畝火の山が愛しいと耳梨山と争った」っち言うんです。で、神代の昔でもそうだから、今でも妻を争うらしい、という歌があるんですよ。聞いたことあります?三山の歌?これが実はこの歌だったらしいんですよ。この歌だったらしいんですよ。だから、「畝火」はすると、神話の時代とは違って、これどうも「髪長媛」のことだったらしいんです。


で、「かぐやま」というのはですね、これがまたね、面白いんですよ。で、歌ではね、万葉集では「かぐやま」ってね、こんな字書くんです。「高山」って書くんですよ。13番、14番の歌ですけどね、万葉集。これ、「かぐやま」って読ませる。で、これがですね、(*省略)御所ヶ谷神籠石の下の地図ですね。で、先程「難波高津宮」大鷦鷯の宮って言った「五社八幡」がありますね。


その真向かいに実は「幸ノ山」(こうのやま/みゆきのやま)という山がございます。これの麓にですね、字名で「高山」が残ってるんです。で、私は最初ね、仁徳が菟道さんじゃなくて大鷦鷯さんだとまだみなさんと同じように思い込んでいた頃に、この「高山」をお仲間のおかげで発見したわけですよ。で、この山の向かい側に「五社八幡」見つけて、だから、これが「難波高津宮」だろうと。


だから、仁徳、大分私も先入観で、大鷦鷯がこの「高山」に登って国見したんだろうって思ったわけです。『古事記』にはですね、同じ聖帝伝説の所で、「高山に登って国見した」って書いてあるんですよ。「高山に」って。これを古事記の人たちは、これを万葉集の時には「かぐやま」って読むことを知らなかったんで、訓読の所に「高き山に登りて国見す」って書いてあるんですね、仁徳記の所で。


で、これがまず「高山」だと。もっと言うならば万葉集では「かぐやま」だったんだから、本当は「かぐやま」に登って国見するという記事だったんです。だから、これもまた聖帝伝説と重なるわけなんですね。ところがですよ、『日本書紀』はこれをごまかすんですな。日本書紀はこれを簡単に「高臺」(たかだい/たかどの)に変えちゃうんです。「高台」に登って国見なさった。


もう、これで以前の私もみなさんもごまかされたんですよ。なーんかね、宮の中に何か高い塔でもなんかあってね、そこの3階あたりでこうね、ちょっと振り向いたと。もう、これくらいに思っちゃったんです。私は『万葉集』読んでたおかげで、とりあえずここの「高山」探し出した「幸ノ山」。で、これはさっきの椿市小学校の校歌では景行天皇が土蜘蛛退治にやって来たから「幸ノ山」だっち言うんですね。あそこの伝承も間違ってるんですが。でも、それでもやっぱりすごいですよ。