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2017年4月5日

#004 「真実の仁徳天皇」福永晋三 [1時間30分~1時間35分]

それ、あの應神記に書いてあります。「木幡村」ですね。それからですね、宇治天皇に関することが書いてあると思われる『山城国風土記』逸文の中にですね、その「宇治」という場所がですね、元々は「許乃國」(このくに)だったってことが書いてあるんですね。「許乃国」だったと。「宇治」が「許乃国」だった、元々は。で、菟道稚郎子のお母さんが應神さんと出会った場所が「木幡村」。


この字を当ててありますが、要するに「許」乃国の「端」っこの辺りであったっていうことでしょ? 「木幡村」。でも、お母さんがいた所に菟道稚郎子は宮を建てたらしいんですよ。としたら、この香春に残る字図の、この「古宮」こそ、イコール「宇治宮」じゃないか?と。そこに思いついたわけですね。だから、多分この辺りが宇治天皇さんの即位された場所だろうと。


だから、これこそ失われた「宇治宮」。古い名前が「許乃宮」ですね。「古宮」ですね。だから、嬉しかったですよ。この学芸員のノムラさんにも、それから先程の柳井さん、誰に聞いても「いや、これは『こみや』って読むんだ」と。町の人聞いてもみんな「こみや」っち言うとると。嬉しいですね、これが「ふるみや」だったら、もう大失敗ですよ?


土地の人が頑固に「こみや」って言ってくれたから、「ああ、じゃあこれが宇治宮の言い方変えた古宮、許乃宮だった跡だったんだろうな」と、こう思ったんですね。もちろん、残念ながら古墳時代の話ですから、跡形もありません。もう、地形も大分変わってますしね。はい、(*不明)が見えてきました。そしたらですね、いよいよですよ、この地名と掛けてまた倭歌から読み解く古代史ですがね、解き明かす古代史。


この大鷦鷯さん、仁徳天皇の仁徳天皇紀、あるいは『古事記』両方出てくるんですが、仁徳紀中出てくる最も有名な美人さんが「髪長媛」です。髪長媛です。日向國の諸縣君の女でしたかね。で、最初は應神天皇がこの女性がベッピンさんだということで、自分の側室に入れようとしたんですがね、ところがその宴席で「皇太子」が、そのあまりの美しさに惚れて、應神さんに「この女性、私に下さい」と、こうお願いしたわけです。


したら、應神さんはやっぱりこのお母さんと一緒でこの菟道稚郎子がとても可愛かったらしくて、「ああ、わかった。お前が言うならやろう」ということで、これで太子のお嫁さんになっちゃうんです、妃に。 髪長媛さん。で、昔は髪が長いのがベッピンの条件ですからね、もう 「髪長媛」なんて名前の通り美の代表のベッピンさんです。で、この女性を貰うんですよ。問題ここです。


それがですね、いいですか?「髪長媛をください」って言ってお嫁さんにしたのは『古事記』では「太子大雀命」ってこう書いてあるんですよ。よろしいですか?『日本書紀』は、あくまでも「皇太子」は「菟道稚郎子」なんです。大鷦鷯はこんな字書きます。「皇子」です。ほら、もう矛盾出てきたでしょ?何で『古事記』の太子と『日本書紀』の太子違うんですか?


で、日本書紀では「皇子大鷦鷯」が、 髪長媛を貰うわけです。古事記では「太子大雀命」が貰うんです。だから、古事記も日本書紀も「大雀命」が 髪長媛を貰ったということになっております。ここ、よろしいですか?ところがです。その髪長媛と初夜を迎えたはずの大鷦鷯はこんな歌を残すんです。