これ普通、素人さん出来るわけありませんし、私みたいに高校で古典教えてたって、これが「秋の野」なんて読むことはまず不可能です。みなさんもそうでしょ?これ、原文から読んでいったら普通やっぱ「金の野」って読みたいでしょ?「金野」さんでしょ?じゃあ、そこが宇治の京であるんだったら、「金野」に「宇治の京」があるんだと。私の発想ってものすごく単純なんです。
でも、こっからが「倭歌が解き明かす古代史」ですよ。じゃあ、香春に「金の野」ってあるのか?と。「ある」んですね、見事にね。だって、そこ流れてるのが「金辺川」でしょう?この地図です、はい。「金辺川」でしょ?「金」の「辺」りって書いて。「金の辺」って書いて、これ「きべがわ」って読みます。
この地図です、 金辺川です。真ん中流れる川、
金辺川です。
「金」の「辺」って書いてあります。(*省略)上の方はちょっと大きめで、金辺峠、金辺川、香春岳ってありますよね。で、下の地図がその香春の金辺川の所を拡大した地図です。で、そこに字名がこう手書きで入っとりますね。これ、香春町の教育委員会のノムラさんという人が、この字図作っておりまして、で、それ全部コピーさせてもらって、今我が家にあります。その内の一部です。
で、金辺川という字を見てもご覧になってわかりますでしょ?訓読みしたら「金の辺り」です。じゃあ、ここに「金」っていう地名ありますよね?そして、次の6ページの上の地図見てください。ちょっとまた縮尺が大きくなりますね。そこに「宮原金山遺跡」っち言うのがあるんですね。「金山」があります。これが『古事記』の神代に出てくる「天金山」の所だと思われます。
当然、ここやっぱり「鉄」が出るんです。鉄が出るんです。で、ここ道路、バイパスを建設してまして、平安時代以前の「溶鉱炉跡」出ちゃいました。実はC14測定法持ち込めばもっと古いかも知れないんですが、九大関係の人たちが面倒臭いって言って戻しちゃいました…本当は調べたかったですねぇ。下手したら、弥生時代の溶鉱炉だったかも知れないですね。
こういう風に、学会って結構「姑息」な手段取るんですよ。バイパス優先。「天金山」かも知れないのにね。地名こうですよ?「金山」ですよ?じゃあ、これが「金山」であるならば、
金辺川の方に向かっていった平地の部分が「金の野」でしょ?「金山」に「金の野」。その「金の野」の拡大図、5ページの方見ていただくとですね、そこに「古宮」って書いた字名がいっぱいありますでしょう?
「古宮」って書いたのが。いくつも見えますよね?ルビ振ってください。これ「こみや」って読むんですよ。「こみや」って読むんです。「こ」なんですよ。それで、ここにはプリント取ってきてございませんけど、実は「菟道稚郎子」というのは應神天皇の何人かの皇子の内でも結構年下なんですね。で、腹違いの「大鷦鷯」の方が、これはお兄ちゃんにあたるわけです。腹違いのお兄ちゃんです。
菟道稚郎子は「宮主宅媛/宮主矢河枝比売」とかいう女性の、妃のまぁ、息子なんですね。で、この宮主宅媛という人が、随分應神天皇に寵愛されたということで、この年下の菟道稚郎子が「皇太子」になるわけですよね?これが『古事記』の世界にはこう書いてあるんですね。大雀命はちゃんと「皇子」(みこ/おうじ)って書いてあるんです。これ、大義名分が明らかに違うんですね。
跡継ぎは、應神の跡継ぎは「宇遅能和紀郎子」だったんですよ。で、この人が非常に應神天皇に愛されたんですが、この宇遅能和紀郎子さんのお母さんが應神天皇と出会った場所が「木幡村」(こはたむら)っち言うんです。