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2017年1月20日

#003 「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三 [1時間5分~1時間10分]



鳥見野の戦いですね。鳥野の戦いです。これも頓野という場所だということがわかりました。この時があの金印の国、倭奴国の滅亡です。倭奴国の滅亡です。初めてこの国で年号出しました。長髄彦は物部氏の系図に合いませんので、これ年代に合わないので、実際には天忍人命、天忍男命のようだという論、一応推定してあります。そしてニギハヤヒの別の末裔は神武に帰順したと。それが瀛津世襲命(おきつよそのみこと)かと思われます。


119年春2月、あと掃討戦が始まりますね。3月、畝傍山の東南の橿原の地、そして次の3行目が大事なことです。これは鞍手郡誌によれば、神武は一旦宝満山、出発地です、すなわち筑紫に陸路で凱旋するってはっきり書いてあるんです。これ日本書紀にないでしょ?ないでしょ?帰ったって書いてあるんですもん、鞍手郡誌には、射手引神社社伝には。じゃあ、神武さんは、あの東の大和、奈良県まで行ってませんよ。どうやったら筑紫、帰ってこれます?あんな負け戦のまんまで。


ところが、この鞍手郡誌によれば、神武さんは第一次東征で敗れた時に、宝満山まで戻ってきます。ここで3年間再軍備して、それで倭奴国倒します、筑豊を。そしたら凱旋してきたって言うんですよ、筑紫に。これで地理的にピッタリ合ってますでしょ?合いますよね?だから、日本書紀も決して嘘は書いてなかったんですよ。天香山決戦ということを考えて、その天香山が他でもない香春三ノ岳であるならば、神武さんはあそこで戦って、あそこに都を置いたと。


非常に簡単な構図が浮かび上がってくるわけですよね?さぁ、そしてですね、彼は9月にですね、現地の五十鈴媛命(いすずひめのみこと)を召し入れて正妃としたとありますね。これが後の悲劇の始まりです。121年に即位します。初代天皇ですよね、「おほきんさん」です。論功行賞します。八咫烏にも土地与えます。それが田川郡赤村から烏尾辺りまでの、烏尾峠辺りまでの「飛ぶ鳥の明日香」の地の領有を認められたらしい。


私がここで初めて「飛ぶ鳥の明日香」という奈良の明日香の源流の地を「赤村」に求めたわけです。あそこが「明日香」です。八咫烏の伝承がなかったら、意味がないんですよ。飛ぶ鳥の「烏」の鳥が、「烏」である限りは。だから、飛ぶ鳥の明日香というのは赤村の地なんです。これも日本で初めて言いました。さぁ、その後神武亡くなります。136年です、続いて。で、手研耳命(たぎしみみのみこと)が、これも日本書紀と違いまして、「即位」したはずなんです。後は言いません。


で、大事なのはこの2代目の手研耳命が、実はカムヌナカワミミノミコト(神渟名川耳尊/神沼河耳命)、つまり現地の女性との間に生まれた皇子に暗殺されます。暗殺されます。この古川さんに案内されて、明日また菊池で講演しますが、去年、菊池の講演の後に、実は吾平山陵、相良観音さんの所、連れて行ってもらったんです、菊池市の近くの。あそこに実はこのウガヤフキアエズノミコトという神武のお父さんのお墓がある、そういう伝承がこの地にあるんです、吾平山陵。


行きました。実感しました。「あぁ、ここなんだ」と。「神武の出身地は」と。そうしました時に、そこにはですね、あれは何町になるんですかね?「ひむき」という地名があります。「日向」と書いて、「ひむき」という地名があります。だから、「日向の吾平山」があって、そして奥さんが吾平津姫(あひらつひめ)で、その間に生まれたのが手研耳命でありましょ?その手研耳命が、つまり本来ならば、神武さんの直系、あるいはその菊池市の日向の国の一番の血統を、血を引くところの手研耳命さんが、香春の土地の姫さんとの間に生まれたカムヌナカワミミノミコトに殺されるんです。


山鹿市ね、山鹿市です。山鹿市に「日向」があるんですって。山鹿市に吾平山陵あるんです。今も祀ってる人たちいらっしゃるんです。そこに立った時に、「あっ、神武はここの日向の出身か」というのようやくわかったんです。日本書紀にもちゃんと日向の出身って書いてありますから。日向の吾平津姫と結婚したと書いてあります。その間に生まれたの手研耳命のはずなんです。この日向の村、山鹿市の土地の血を引く、手研耳が香春の地の姫との間に生まれた綏靖に殺されるわけですよ。