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2017年1月16日

#003 「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三 [45分~50分]

それで僕は神武さんは元々この八咫烏、求菩提山の八咫烏知っていたんじゃないか?と、筑紫におる時から。それでこの前、ずっともうこれは何年前ですかね、56年前ですかね、それで古川さんに「久留米にどっか烏天狗の像ないか?」って聞いたら、「あぁ、御井(みい)寺にある」って言われてさ、「あぁ、おった!」ってな感じで()。これでやっと納得したんですよ、「あ、烏天狗ここにもおった」と。佐賀県にもおったんですね。


だからすごいんです、この一族の活動範囲も。さぁ、それで今度はその倭奴国を始めた人ですね、先程言いました笠置山に降臨した天照国照彦火明櫛玉饒速日命、呪文のように言っておりますが、この神が祀られてるのが、この旧宮田町磯光にあります天照宮、もう名前が大体驚きですよね?アマテラスってはっきり書いてありますもんね。書いてありますよ?別に私が付けたわけじゃないんですからね。


私、炭鉱のここに生まれて親父に連れられて、よちよち歩きの頃から高校は18の歳まで、このお宮さんが初詣のお宮さんなんですよ。私、古代史始める40歳の頃まで自分が通ったお宮さんの祭神知らなかったんです。調べだしたら、「えっ、ニギハヤヒ?」ってな感じで。もう目から鱗というより、頭をハンマーで殴られたような思いでしたね。「え、自分の通ったお宮さんが天照宮、アマテラス?アマテラス?!」てな感じで。


ここから僕はアマテラスが男神だということにやっと気が付くわけです。「あ、女性神じゃなかったんだ」と、男性神のアマテラスがいたんだということにやっと気付くわけですよね、遅いですよね。さぁ、そしてこの天照宮の拝殿ですけど、これは今はもうどこでも同じになっちゃいましたね。ここに赤天狗、それから青天狗、鬼ですね。これがこれから後ほど語る玉垂宮さんと同じでしょ?これ、だから神功さんがやっつけて、この福岡県辺りを統一していきますね。


その時やっつけた敵の首ですね、これね。先程の求菩提山縁起にあった天狗=鬼なんですよ。だから大善寺玉垂宮の鬼夜に(*不明)ても、「鉾取った!面取った!」ってやって、あそこ出てくる天狗面付けた人たちですよね?だから、あのお祭り意味があるんです。だから、あれは実は神功さんがここにいた前権力者を倒した時の様子なんですよ。この八幡宮形式というのが、全国に広がっちゃったんです。


天照宮は先程言いましたようにニギハヤヒさんの宮なんですけど、本来やっつけられた側ですわね、最終的には。その人たちのお宮さんなんですけど、結局後に八幡さんが主流になった時に、こうやって宮のあり方が変わっていくわけなんですね。さぁ、今度はまた神武さんに戻りますが、昭和9年発行の『鞍手郡誌』と呼ばれるのがありまして、その中に射手引神社社伝というのが取られておりまして、ここに神武さんの東征のコースが詳ーしく書かれてます。


その一つがこの福岡県の南の方にあります、これは嘉麻(かま)の側から見た帝王山と呼ばれる山です。この日どうやら大雨でしてね、車内から撮っとりまして、ワイパーがちょっとね、写っておりますけど、ここを越えて何の宮に入られましたかね?どっかの神社に入ったんですがね、射手引神社の一つ手前のお宮さんに入る時の場所ですね。こういう地名が各地に残されておりまして、その射手引神社社伝というのに全部合います。これが馬見神社です。


うん、これは馬見物部の出身地でもありますね。大阪の方にもあります。ここで地元の駒主命というのが神武さんに足白(あしじろ)の馬を献上したというので、飯塚市に足白という地名が残ってるということで、筑豊はほとんど神武さん関係の伝承と地名で埋まっておりますね。これも後でようやく気付くことになります。これが熊野神社境内の巨岩ですね、巨石です。これも立岩遺跡の近くにあります。実は立岩遺跡というのは神武さんに滅ぼされた一族の村です。