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2017年1月13日

#003 「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三 [40分~45分]



さぁ、それをまた一つ証明するのが(*省略)大事な所はですね、(*省略)<中國(なかつくに)を平(たいら)>という部分とですね、それからここに<威奴(いぬ)の邪神を撥(はら)>という文句がございますよね。ここのやっぱり威奴の邪神というのが、「神武は筑豊に東征した」という私の論をある程度決定づけることになったわけですね。中國というのも大事なとこですが、要するに神武天皇さんが武器、武力によって威奴の邪神をやっつけて、それで九州を統一されたんだよということがここに書いてあるわけなんです。


驚きました。後は同じ行の所にですね、この求菩提山にやって来て、天神地祇を斎祭(まつ)ったと、それでこの当時の名前が狭野嶽(さのだけ)といったと。これが天皇さんのお名前になったんだよって平気で書いてありますね。これが狭野嶽です。日本書紀に実は<狭野を越えて~>という文句がたった一行しかないんですがね。だからこの狭野なんです。つまり英彦山の近くの求菩提山、英彦山を神武さんは宇佐の宮に入った後に、ここを越えられたということなんですね。


このだから求菩提山縁起というのが、私にとってはものすごい大事なことになったわけですね。(*省略)その神武さんがやってきた後にですね、今度は人皇27代の継体天皇さんが同じ場所にやって来まして、ここで威奴岳(いぬがたけ)のですね、鬼をやっつけたというのがあるわけです。この威奴岳というのが他でもない皆さんご存知、英彦山の並びにある犬ヶ岳、ワンちゃんの犬を書く犬ヶ岳です。


その字の置き換えから行けば、この「威奴」も、それからみなさんよくご存じの金印、漢委奴国(かんのいぬこく)の「委奴」も、もうおわかりでしょ?だから元々国内の資料でも「いぬ」って言ってたんですよ。中国に、から貰ってきたというあの金印もだから委奴国(いぬこく)というわけです。その委奴国て何?って言ったら、これから年表で確認して行きますけど、どう考えてもそれは神武さんがやっつけた国、すなわち金印を貰ってきた国を神武さんはやっつけたんだっていうことに気が付くわけですよね。


これ、だから貴重な資料なんです。それがその求菩提山における八咫烏と思われる烏天狗の像ですね。一番真ん中に大天狗が座っておりますので、その後ろが八咫烏です。これも多分(*不明)烏だと思われますね。8人の烏天狗。これがやっぱり山を飛び歩くような連中なんですよ。つまりこれ英彦山の修験道の始まりに関わる連中です。この連中が神武さんの道案内したわけです。これ八咫烏です。どう考えてもそうですよね?烏天狗。


これが多分インドのガルダ神、インドネシアなんかにもありますけどガルーダ神。そのガルーダが訛って日本国でカラスと呼ばれたんでしょうね。そのガルーダというのは他でもなく、頭が鷲(わし)、胴体が人間、背中に羽という、もう烏天狗そのもの格好してますね。だからあれが多分この一族のトーテムだったんでしょう。これは後、神功紀に出てきます羽白熊鷲(はしろくまわし)、美奈宜(みなぎ)神社の辺りです。


これも同じですよね?だから美奈宜からこの久留米の辺りの耳納(みのう)山地にかけて、英彦山の修験道、それから佐賀県の八天宮(はってんぐう)辺りまでずーっとこの修験道のルートというのあります、尾根伝いに。