天香山が中心で畝の尾っぽの山だから畝尾山、という語源も古事記のそのイザナギの巻から、たった一か所しか出てこないんですよ、哭澤女神。あそこに畝「尾」とあった。香山の畝尾って書いた。だから、これが畝傍山であろうということを推定したんですね。これもだから非常に嬉しかったんです。この天香山の決定的な発見はこの前、「真実の仁徳天皇」で発表したんですけども、<春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり天の香来山>という歌あります。
この歌において私は奈良県では成り立たないと。このお山は石灰岩で出来ております。今はもう畝尾山、一ノ岳はですね、セメントを採るために、セメントの材料を採るために、もう掘られ掘られて250メートルもありません。もう200メートルぐらいです。以前はこれ3つの山、全部500メートル級の山で、もう二ノ岳、耳成山も掘るんだそうです、やがて…もう結局、天香山しか残りません…
この山がですね、実は最澄というお坊さんが唐から帰ってきて、それで神仏に祈って初めて草木が生えたという伝説が残っております。つまり、平安時代まで草木が生えてなかったんです。石灰岩で出来てる山ですから、これ「真っ白」なんです。全山真っ白です。さぁ、春が過ぎて夏が来ます。この国、もう外見てもわかります。「緑一色」です。
緑一色の中で、この三連山だけが白く輝くっています。
だから、<~衣乾したり~>というのは「人間の衣」じゃありません。造化の神がご自身の白妙の衣を乾し掛けてあるかのように天香山だけが全山真っ白に輝いているよ、という歌だったんです。これで万葉集らしいでしょう?雄大な自然を詠った歌です。一種異様ですよ。まわりは緑一色、この山だけ真っ白です。私国語の教師やってたってさっき紹介ありましたように、今もやってますけど、ほんでもう百人一首教える・・てないんですよ、実は一回も。
解釈おかしいから。何でそんな人の衣を見て、干して立ててあるだけで夏が来たという証拠になるんだい?って。全然わかんなかったんですよ。これ追及して自分でやっとわかったんです。そうするとやっぱ万葉集は本当に冗談抜きに僕も前の先生たちの受け売りですからね。万葉集というのは率直に自然描写を歌うんだよと、雄大な風景が多いんだよと。ところが、奈良の香具山だったらどうなります?海抜148メートルか何か知りませんけど、へちゃむくれの。
全く最初から緑で、全然緑で、どこにも白がないじゃないですか?だから<~白妙の衣乾したり~>が全然活きないんですよ、あちらの山だったら。それをやっと見つけ出したんです。この天香山争奪戦が神武紀に詠ってあるわけですから、神武はここを征伐した。みなさん日本書紀に強い方はもうおわかりですよね?畝傍山の東南に橿原宮を建てたんです。今そこに鶴岡八幡宮というのがあります。
これ、鎌倉の鶴岡さんよりも50年早く出来ております。ここの宮司さんがまたとぼけた方でしてね、「鎌倉の鶴岡さんより、早いでしょ?」って言ったら、「えっ、そんな馬鹿な。ウチの方が後でしょ?」って。「違うでしょ、お宅の方が早いでしょ」って言ったら、そしたら宮司さん思い出したように、「あ、そういえば鎌倉の鶴岡八幡宮から800年記念の何かそういえば冊子が届いてた。あっ、ウチそれよりも早いや」なーんて気付くぐらいですからね。
私に言われて初めて気が付いたという本当にのんびりした宮司さんですけれど、嬉しいですね、こっちのが古いんですよ。これの多分、お宮さんの下に神武の建てられた橿原宮というのが今もあると思います。そしてありがたいことにここの宮司さん、もちろん僕の話知りませんでしたよ。ところがこの方がですね、この宮で出している冊子が『樫葉の山』っち言うんですよ。「何でこんな名前付けたんですか?」
「そら、昔からこの山、樫の木が生えとるからや」と。だから「橿原宮」じゃなくて、ひょっとしたら「橿山宮」だったかも知れないですね。でも「樫」は共通ですよ。ここの宮司さん、何も知らなかったんですから。