天皇さんは大きく(*不明)日本書紀の中でも、一番最初の欠史八代に至るまで、崇神さんの前までがオオヤマトネコ天皇さんなんですね、大体。「ヤマトネコ」さんなんです。この倭の国が私が言ったように豊の国を中心とした地帯であるならば、このヤマトネコの天皇さんていうのは神武さんから崇神さんの直前まではヤマトネコ、つまり倭の国に根付いた天皇さんたち(大日本根子/大倭根子)という意味です。それに対して韓国の方から、また天皇は渡って来ます。
これが崇神さんです。ミマキイリビコさん。「入彦/入日子」さん、「入り婿」と同じです。イリヒコさんです。これが「イリ系」天皇さんです。これが崇神、垂仁と続きます。この崇神さんの頃が卑弥呼さんの頃です。ちょうど当たります、それに。このイリさんの天皇の後に2代しか続かなかったんですが、そこにオオタラシヒコノスメラミコト、景行さんが播磨国から出てきて、これでまた日本書紀に特筆大書される九州統一をやらかすわけです。
今回私はその景行さんを調べに来たんですが、肥前国風土記、それから播磨国風土記、豊後国風土記、実は景行さんのオンパレードなんですよ。調べ直してください。5つしか完本残ってませんね?5冊しか。その5冊の内の3冊が、実はよーく中身を検討すると、8割から9割、景行天皇さん関係です。景行さんは播磨国を出発して、それで豊後、肥前を含んで九州のあちこちを統一してまわる。
私が十数年前神功さんを調べてまわった時にも、あちこちで例えば武雄市の福母の辺りにある石崎八幡宮さんの社伝の中にもですね、社記の中にもやっぱり景行天皇さんが88人の女酋長をやっつけてまわったという記録が残されています。写真撮らしてもらってますけどね。そういう記録があって、今この中原先生が調べられているこの千田聖母(ちだしょうも)八幡宮さんですか?
ここにやっぱり景行天皇さんがやって来て、土蜘蛛やっつけた、土蜘蛛やないや、何だっけ?八つの亀、ヘンテコな亀、はい、その亀やっつけたなんて変な記録がありますね。当然、土地の豪族をやっつけた記録の跡だと思われます。だからこの土地にも私は景行さんようやく、このお二人のおかげで探すことが出来たんですがね。そういう伝承、じゃあ、何で景行さん、わざわざここまで来て、その土地の豪族か何かやっつけるんですか?
八つの亀か何か知りませんけど。やっぱりこの菊池がただならぬ土地だったからでしょ?この時の菊池の人たちが負けたという記録はあんまりないんですね。ないんですね、正直言っちゃって。大宮八幡の方にもやっぱりそういう記録があんまりないですね。景行さん来たとは書いてあるけど。特にその土地の豪族がやっつけられたという記録は特にないと思われますね。
だから、この土地のやっぱり菊池氏ですかね、後の、一族はやっぱ本当に強かったみたいですね。そんなこんなで、九州の各地をまわって、それで去年、菊池のこの研究会に訪れて、それでもう本当に吾平山陵に立ってみて、初めて菊池の土地の、日本古代史における重要性。これはもうターニングポイントですよね。これで狗奴国が、キクチヒコの居城が決定すれば、もう女王国決定ですもんね。
ということは、これが、この遺跡が全国に紹介されて、それで菊池市や山鹿市が全力をあげてこの国の古代をやってくれれば、取り扱ってくれれば、この土地はもっと盛んになるし、それで古代も段々明らかになるし、ひいては日本書紀、古事記に残されたこの日向とかですね、こういった正体がわかってきだすとですよ、この土地は日本古代史の発祥の地。もっとはっきり言えば、「神武天皇のお生まれになった場所」でしょう?
これほど皇室にとって大事な土地ないですよね?それが菊池、山鹿ですよ。熊本ですよ、うん。これをね、去年教わってね、私はもう今年来るまでにですね、ほいで中原先生がもうすぐ御本出されますが、これを取り入れて、私が最初に書いた「神武は筑豊に東征した」、筑豊に東征して都を建てたのはわかった。だけど、神武さんどっから出たのか?ずっとわからんかったのが、この土地でみんなわかってきて、それであの三国志で有名な狗奴国もわかって、そのキクチヒコ、ククチヒコの居城もわかってでしょう?