向かい側に花房台地があって、この辺りからもコンテナで2000箱の何か遺跡物が出たとかいうような所がありまして、それとこの三角地点、これはちょうど向こうの海、湖から入ってきた防衛のラインとして重要な拠点ですよね。だからこの鞠智城、もう名前の通り、一番最初はキクチヒコの居城だったんでしょ?先生がずっと探された茂賀の浦の水が引いていく段階でどんどんどんどん水田が出来てくる。この穀倉地帯を背景にした経済力、軍事力。
これが女王国と対峙するにあたって、ものすごい戦力を持っていた。この菊池氏は結局、豊臣秀吉の時代にとうとう力をね、奪われてしまいますがね。あの時代まで狗奴国は滅びなかったんです。みなさんなら納得できるでしょう。僕は去年、吾平山陵に立って、もうそれが頭の中巡って本当に大混乱起こしましたけどね。解き明かしてみたら、何のことはない。古事記にちゃんと書いてある。日向「国」じゃない、「日向」から筑紫に行った。
つまり、この土地から出発して、博多湾岸に至るまでの北部九州の西半分に大国を作り上げた神武さん。この神武さんが日本書紀によれば、45歳で東征を始めるんですよ。私にとっても謎の空白だったんですよ。何で45にもなって、あんな晩年になって、何で東征やるのかと。そこに至るまで力を蓄えて、それで博多湾岸におけるニニギの直系なんかも併合しながら、吉野ヶ里も攻め滅ぼしながら、北九州の西半分に強国を築き上げて、その勢力でもって東半分の倭奴国、ニギハヤヒの国、本国を制圧、東征した。
見事に成り立ちますでしょう?私の空白を埋めてくれたのが、この中原先生の調査結果なんですよ。これだから、日本国の古代史根底から覆しますよ。だって、すごいことでしょう?これで狗奴国が確定したら、邪馬台国は北九州に決まっとりますがな。何で奈良県にならないかんのですか?奈良県のどこに狗奴国があるとですか?どこにキクチヒコがおるとですか?こっちなら全てOK。全て理屈に合う。遺跡が合う。状況が合う。
この水田の力、ここから生まれる力がすごい。これが女王国圧倒した。だから、卑弥呼さん死んだ。じゃあ、いろんな学者が言うのは全部当たってくるわけですよ。それで私はここが狗奴国じゃなかろうかという見当をつけて、去年その吾平山陵に立って以来、もう一回今年戻ってきたわけです。念のため帰ってきたわけです。それで山鹿のチブサン古墳なんかの所も見に行きました。
そこの学芸員さんが、近頃、現地の学者によればですね、八女の方の岩戸山古墳、あそこの石人石馬は山鹿の石が使われとると。これ現地の学者が証明してくれました。その岩戸山古墳とチブサン古墳は全く同じ文化圏の古墳であると。これも調べてくれました。私じゃないです、学者が言っております。そしてこの土地から八女にすぐ行けるわけですね、この道通っていけばね。近いんです。
だから、八女とそれから山鹿、菊池、これ同じ文化圏です。私は古川さんにこの前質問したんですけどね。「久留米」の語源ちゃ何ですか?と。もう一つ研究会あります。ほんで諸説あるんですよ。僕は早くからですね、久留米というのが実は朝鮮語のn音、r音の入れ替わり、例えば崇神天皇の時の有名な「都怒我阿羅斯等」(つぬがあらしと
/つのがあらしと)。この場所が確定しておりますね。現在のあの「敦賀」(つるが)です。
n音とr音が交替するのが朝鮮語の特色です。じゃあ、久留米の「クル」はn音になったら何になるんですか?「クヌ」になるじゃないですか?あれが狗奴国の一番最北端の所。当時の大川、筑後川これが海だった。その海を挟んで、北の女王国と南の狗奴国、これがあそこで対峙したんじゃないですか?