そして男王が立つけども国中は全然おさまらない。そこで一女子を立てて共立した。これが卑弥呼さんじゃと。その卑弥呼さん、どこと交戦しました?どこが最大のライバルでした?「狗奴国」です。狗奴国ちゃどこですか?後漢書に出てくる男王の名前何ですか?狗奴国の男王。「狗古智卑狗」(ククチヒコ)です。言い方変えりゃあ、「菊池彦」(キクチヒコ)です。菊池(きくち)ちゃどこですか?ここやないですか。
じゃ、タギシミミノミコトも殺された、そのかつての日向国は、女王の時には狗奴国と貶められたけど、当然彼らは自分たちの正統主張したら、女王国と争うやないですか?卑弥呼さんにはそのアヒラツヒメの血流れてるんですか?共立したくらいですから、家系関係ありません。だからこの国、茂賀の浦のこの大水田、大穀倉地帯を抱えた狗奴国は全力をあげて女王国と対戦した。負けそうになった。だから魏に使いを出す。応援してくださいと。
魏から使いやって来る。ところが、さっき言いましたでしょ?卑弥呼さんは狗奴国との交戦の後、どういうわけか難升米に魏から黃幢を授けられて、つまり代替えさせられて死に追いやられます。狗奴国、負けたんですか?「勝った」んです。邪馬台の国、邪馬台国が負けたんです。だから、女王さんは死に追いやられたんです。自決させられたんです。弥生時代の王の宿命です。国に不利益起こしたら、結局王の責任なんです。
これ、中原先生が見事に、長年かけて作られたんです。じゃあ、そのククチヒコ、これ中原先生は韓国によく剣道の指導に行かれています。向こうの土地に菊姫?(キクヒメ)という名前の姫さんがいらっしゃったそうです。「あ、キクヒメがおる」って言ったら、向こうの人が「いや、それは「ククピ」である」と。じゃあ、後漢書なんかに書いてあるのが「ククチヒコ」である時に、やっぱりそれは今の我々の発音だと「キクチヒコ」。
しかし、それが韓国語では「ククチヒコ」。ピッタリ当たるわけですよ。じゃあ、その彼の238年頃の、女王さんと戦争してる頃の240年代の、ククチヒコさんの、キクチヒコさんの居城はどこか?もうみなさんなら頭に浮かぶでしょう?どこだと思います?キクチヒコの城。「鞠智城」(きくちじょう)ですよ、鞠智城。これらの律令時代のね、城ということになっておりますけど、この下は誰が掘ったんですか?誰か掘りました?多分、あるはずです。
中原先生の調べによれば、この辺り、そうですね、茂賀の浦の水が引いていって、この辺りが水田化していく時、そしてこの先生の地図の中に、この辺りのこのラインですね。このライン上に実はこれ「甕棺」が出とるんですよ、甕棺が。福岡と同じ甕棺が。じゃあ、神武さんが統一した頃はまだ福岡県と、この菊池辺りまではやっぱり同じ国の文化圏として存在してた。しかし、ここの出身のタギシミミが殺されたことから、倭国大乱に入って、女王さんの時代には、もう私が言うところの豊の国・豊前の国、あの辺り中心の女王国、これが北。
そして、キクチヒコの国、三国志に出ている狗奴国、これが戦争状態にあった。これがいわば南朝、弥生時代にこれ「南北朝戦争」です。そしたら、この先生が調べられた地形図と、その遺跡というのがですね、全部これ当たってくるんですね。鞠智城のこの背景がちょうどその私が年表で抜き出した240年前後、ちょうどこの台(うてな)台地っち言うんですか?この辺り、湖が広がっていたとした時にこの台地、ここに鞠智城の出先があるわけですね。